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夢の残り香~日劇ミュージックホールの文学誌

「洋酒天国」のグラビア

お酒についての本をあれこれ読んでいるうちに吉行淳之介・開高健『対談 美酒について』(新潮文庫)に再会し、併せて未読だったお二人のもうひとつの対談『街に顔があった頃』(同)にも手を伸ばしてみた。

吉行、開高ともに対談の名手として知られている。出版社は『街に顔があった頃』について「この本は、良き時代の浅草・銀座・新宿を知る両氏が、街の顔を彩り演出してきた女たちにまつわる思い出を語った〈猥談〉です」と説明を加えている。

一読、たしかに浅草、銀座、新宿のかつての街の「顔」を話題にしているが、その多くは風俗、あっさりいえば性談で、「美酒」に較べるといささか時代が付きすぎていると感じた。美酒に較べるとこの種のことがらは古くなりやすいのかな。それに古稀をすぎた当方としてもいまさらセックス談義でもなかろうという気持がある。そんな思いを超えるとあるいは谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』の卯木督助老人の域に達するかもしれないけれど、まだ少し時間がかかるようだ。

それはともかく『街に顔があった頃』で開高健が、かつての浅草はレトロとモダンが共存した場所だったのに「ヌード、全ストをやるようになってから、浅草のモダニズムとインテリ趣味は消えちゃったな。で、次に私が移ったのが日劇ミュージックホール。これは、なかなかよかったですよ」と述べて、ハダカから見た浅草と丸の内の関係を分析していた。 そしてミュージックホールについて「あそこではずいぶんヒントを得たな、雑誌編集の。当時、私は『洋酒天国』(さんとをやってましたから」と続けていた。

手許にある「洋酒天国」のアンソロジー『洋酒天国1ー酒と女と青春ー』(開高健監修、新潮文庫)のグラビアには《昭和334月から、「洋酒天国」に毎号折込みのピンナップ・ヌード(ヨーテンスコープ)が毎号登場し、読者は胸をドキドキさせながら裸女を鑑賞した》との説明とともにミュージックホールのダンサーだった小川久美、五月美沙、葵美代のセミヌードが掲載されている。

そしてこの「洋酒天国」に毎号折込みのピンナップ・ヌードが「平凡パンチ」「プレイボーイ」等男性雑誌のピンナップ・ヌードの原型となったのだった。





# by yumenonokoriga | 2023-03-29 11:51 | 日劇ミュージックホールの文学誌

ネットサーフィンの夜

晩酌しているうちに十年ほどまえはじめてパリを訪れたときモンマルトルにあるムーランルージュへ行ったのを思いだし、YouTubeで検索をかけてみたところいくつか映像があった。上背のある美女たちによる群舞や呼び物のフレンチカンカンに魅せられ、つぎにシャンゼリゼのリドへ廻った。

そうこうしているうちにYouTubeのほうでパリのいくつかのキャバレーのショーの映像を挙げてくれたのであちらこちらを巡った。

こういうときは24インチのデスクトップのパソコンが力を発揮する。これはわが家の最高の贅沢品、というのは原稿はほとんどノート型で書いている、メール、SNSなどはスマートフォンでこと足りる、ゲームとは無縁だからデスクトップはYouTubeなど映像専一になる。

晩酌では落語や漫才を視聴することが多く、うかつにもショービジネスのネットサーフィンにはまってしまったのははじめての体験だった。

この夜のフィナーレはもちろん日劇ミュージックホールで、検索をかけると朱雀さぎりのファンの方がパンフレットの写真で構成したアルバムがあり、あわせて舞台の動画がふたつアップされていた。美しいヌード、迫力のある踊りの動画はとても素敵だが晩酌の友とするには刺激が強すぎ、とちゅうで断念した。いずれ心と身体を整えて出直します。

(なお朱雀さぎりについては本ブログhttps:/nokorika.exblog.jp/15492018/を参照なさってください)

余談だが日劇ミュージックホールでギターを弾いていた深沢七郎は作家となってのちもよくストリップ劇場をのぞいていて「いまの時代ね、いろんな評論家っていう人がいるけどね、ストリップ評論家っていうのもいるよ。嵐山光三郎っていうの」と語っていた。(『生きているのはひまつぶし』)

無名のころストリップ評論家だった嵐山光三郎の回想があればぜひ読んでみたい。


新型コロナ禍で口福の楽しみの比重が高まり、お酒が好きというより恋しいものとなった。古稀をすぎての老いらくの恋である。晩酌は一日おきで定量だから酒量に変わりはないものの精神的にはアルコール依存症である。

その日の料理と気分で芋、麦、黒糖のいずれかを飲む。ウイスキーはスコッチよりバーボンを選ぶことが多い。それと一週間に一度は缶ビールを飲む。味や銘柄にこだわりはなくスーパーでセールをしているのを買って飲む。ところがコロナ禍を機に晩酌をしない日はさびしくてノンアルコールビールを飲むようになった。

奇妙なことに普通のビールだといずれの銘柄でもよいのにノンアルコールビールだといくつか試したなかではっきり好みが分かれた。こちらのほうが味覚の幅が大きいのだろうか。

近くノンアルコールビールを手にしてYouTubeの朱雀さぎりさんを訪ねてみます。



# by yumenonokoriga | 2021-11-12 14:25 | 日劇ミュージックホールの文学誌

振付師、深沢七郎

深沢七郎の処女作『楢山節考』が発表されたのは雑誌「中央公論」 昭和三十一年(一九五六年) 十一月号で、民間伝承の棄老伝説を題材とした本作は評判を呼び、この年に設けられた第一回中央公論新人賞を受賞し、翌年二月に刊行された単行本はベストセラーとなった。当時深沢は四十二歳、桃原青二として日劇ミュージックホールのギタリストを務め、作家としてはミュージックホールの支配人丸尾長顕に師事していた。

そのころの深沢を回想したエッセイが「週刊新潮」に連載されている。元毎日新聞記者吉原武氏の「深沢七郎と私 「風流夢譚」事件前夜の忘れがたき日々」で、二0二0年十二月三日の最新号にある第二回「日劇ミュージックホールのヌードダンサーたち」にはミューシックホールのダンサーたちが登場している。

『楢山節考』に続く『笛吹川』の執筆をはじめたばかりとあるから昭和三十二年のことだろう。当時深沢邸には来客が多く、あるとき吉原氏が訪れる女物の靴が並んでいて、深沢は美女たちを「日劇ミュージックホールのスターたちだよ」と紹介した。見ると彼女たちは遊びに来たついでに深沢に踊りの振り付けを教えてもらっていた。

深沢は古山高麗雄との対談で「私はバンドじゃなくて直接出ちゃったの、舞台へ……スパニッシュの人と組んで出たり、まあギターをひくというのが背景になっちゃったわけね、バンドじゃなくて。舞台に出てギターというものを背景に使ったわけですね。丸尾先生が」と述べていてコメディアンとしても舞台に立っていた。それは承知していたが振り付けにも詳しかったとは吉原氏の一文ではじめて知った。

「男たちを興奮させるためにはもっとセクシーに、こういうふうにシナをつくりながら踊るんだよ」と立ち上がって実演してみせ、ダンサーたちを指名して踊らせ、手取り足取り丁寧に指導したあと仕上げにみずから弾くギターの曲に合わせて踊らせた。

この日は吉原氏へのサービスとして「それでは誰か、この青年を勃起させてみろよ」と深沢がいうとなかのひとりが「私がやってみるわ」という。彼女は立ち上がって踊りはじめると深沢はギターを弾き煽り立てる。彼女はあっという間に上半身裸になり、吉原青年の前で乳房をゆらしはじめた。氏はいたたまれなくなり這々の体で逃げ出したそうだ。

本ブログの著者としては深沢邸にいたダンサーたちの名がわからないのが惜しまれる。ちなみにその当時の公演リストには伊吹まり代、メリー松原、奈良あけみ、桜洋子、春川ますみ、小浜奈々子といった名前が見えている。




# by yumenonokoriga | 2020-11-30 12:02 | 日劇ミュージックホールの文学誌

日劇ダンシングチームと陸軍少尉

春風亭柳昇は温厚で飄々とした感じのする噺家で、ちょっとピンぼけの具合いがえもいわれずおかしかった。一九二0年いまの東京都武蔵野市に生まれ、二00三年八十二歳で亡くなった。本名秋本安雄。戦争中、敵機の機銃掃射により手の指数本を失い、手を使った表現の多い古典落語は断念し、新作落語をもっぱらに成功をおさめた。

この人に軍隊生活を回顧した『与太郎戦記』(ほかに『陸軍落語兵』『与太郎戦記)が あり、なかに日劇へレビューを見に行くくだりがある。

太平洋戦争開戦当時、秋本安雄上等兵は東京赤坂の東部第六十二部隊で日常業務にくわえ初年兵の指導にあたっていた。教官の少尉を補佐していて、そのため外出できない日曜日が続いたこともあった。

上官の少尉は補佐役の上等兵たちを不憫におもったのだろう「助手のおまえたちが、初年兵のために外出もできず、気の毒である」からと外へ連れ出してくれた。行先は日本劇場、四、五人で赤坂から市電に乗り有楽町へ向かった。

あるいは日劇の舞台を見たかった少尉だが、一人で行くのは恰好がつかず上等兵たちを慰労するという名目でいっしょに行ったのかもしれない。

ともあれ日劇では映画とレビューを組み合わせた興行がされていて、秋本上等兵は、映画は何をやっていたか忘れたが、日劇ダンシングチームの踊りは美しくもまた、有毒であったと回想している。

少尉「どうだ、この踊り、どう思うか」

秋本上等兵「ハア、キレイであります」

少尉「キレイだけてばいかん。若い、しかも女が、あれだけの人数で少しの狂いもなく音楽に合わせて踊るということは、たいへんな努力の結果である。女でも訓練すれば、あれだけのことができるのだから、われわれ軍人は、もっとしっかりしなければいかん‼︎

むかしの日本人は遊びや休暇は世間体がわるいと思っていたからなんらかの大義名分を求めていて、この少尉も観劇に行っただけではおさまりがよくないと、何がなんでもレビューの舞台を兵士の心得と結びつけたのだった。

そういえば在職時、夏季特別休暇制度というのがあって五日取得できたが、筆者の若いころは休暇ではなく夏季鍛錬と呼んでいた。少尉の口ぶりをまねると、もっとしっかりしなければいかん‼︎そのための鍛錬だった。

日劇ダンシングチームのラインダンスも鍛錬のたまものでありました。


# by yumenonokoriga | 2020-05-14 15:11 | 日劇ミュージックホールの文学誌

舶来肉襦袢

ミステリー、時代小説、SFなど幅広い分野で活躍した都筑道夫が七十四歳で亡くなったのは二00三年十一月二十七日だった。いまの感覚からするとすこし早すぎの感は否めない。
時代物、現代物、未来物、ショートショートなんでもござれの職人的作家はいずれの分野においてもしっかりとした、そして細部にこだわった知識をバックグラウンドとし、それが都筑ワールドの魅力のひとつだった。なかでも驚きの発想と趣向にあふれた「やぶにらみの時計」や「誘拐作戦」また捕物帖の新たな展開に唸らされ、たのしんだ「なめくじ長屋捕物帖さわぎ」のシリーズがわたしには印象深い。
その作家のエッセイ集を先日古本屋の棚に見つけた。昭和五十二年から五十四年にかけて『漫画アクション』に連載されたものをまとめて一書にした『昨日のツヅキです』である。
「知らなくても恥ずかしくないけど、知っているとつい誰かに話したくなる、そんな話」をネタにしたエッセイ集は作家の博覧強記を証するに足るものだが、いっぽうで雑学の時代性といったことも感じさせられた。
いまではレオタードは小型の国語辞書にも説明があるだろうし、多くは辞書を引かなくても知っていようけれど、このころはまだ一般的ではなく本書では「リオタード」と記されている。都筑さんはストリップ劇場で田中小実昌が「リオタードすがた」の踊り子と性交態位の解説をする舞台を見て、念のための註釈を書く。「リオタードというのは、体操選手やバレー・ダンサーが着るあの舶来肉襦袢のことだ」と。いまはレオタードは辞書を引かずともよいが、舶来肉襦袢はちんぷんかんぷんであろう。
舶来肉襦袢をめぐるコラムのなかに、森永キャラメルのイメージ・キャラクターで、柔和な顔つきながらターザンふうの衣装で鍛えられた筋肉を誇示しムキムキマンが当時人気で、扮していたのは赤坂のレストラン・シアター、コルドン・ブルー専属のダンサー津島誠二、その津島は杉並区のアパートにヌードダンサーのくぼ亜美と暮らしているとある。二人とも日劇ミュージックホールに出演しているから御縁はそこらあたりにあるかと推測される。とはいってもコルドン・ブルーも日劇ミュージックホールもいまはない。
いまはレオタードについての註釈は不要だが、消えた劇場とその舞台に立った人々ーコルドン・ブルー、津島誠二、くぼ亜美ーについてはあったほうが親切だろう。           


# by yumenonokoriga | 2020-04-06 14:22 | 日劇ミュージックホールの文学誌

いまはない日劇ミュージックホールをめぐるコラムです。

by yumenonokoriga
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