岬マコ

a0248606_12291442.jpg 岬マコ、日劇ミュージックホール、その掉尾を飾ったスターである。
 一九八二年(昭和五十七年)の四月から十二月にかけて「週刊朝日」誌上で「今を盛りのいい女列伝」という連載があった。執筆は同誌の山下勝利記者。手許にある旺文社文庫版には「30代色香研究」との副題が付いている。松尾嘉代から松坂慶子まで三十七人の「いい女」のうち日劇関係では新倉まりこ(NDT)と岬マコが登場している。(写真は同書より)
 岬マコ、本名弦間るみ子、昭和二十五年三月甲府に生まれた。憧れは宝塚の男役だった。何の訓練も受けていなかったが、なにしろ踊りたかった。知人に紹介されてミュージックホールの舞台を見てダンサーの仲間入りをした。初舞台は昭和四十二年の暮れ。公演リストによればしばらくは「岬まこ」でクレジットされている。当時の体重が六十三キロ、「いい女列伝」の頃より十キロ以上重かった。目が大きく色が黒かったからタヌキとあだ名されていた。
 このタヌキがやがてミュージックホールのトップスターとなったのが昭和五十七年三、四月公演「エロティカルグラフィティ」だったから初舞台から十五年目のことだった。劇場は日比谷に移っていた。 なお同公演には大山節子、ジャンボ久世、明日香ミチ、南ゆき、梓かおり、炎美加、鵬夏子といったダンサーの名が見えている。
 岬マコはできればたった一人のひとに見られていたいと語る。けれどそれは舞台に立つかぎり叶えられる願いではない。岬マコの体は複数の男たちのために存在しなければならないという山下記者に彼女は語る。
〈「そう、それは踊り子を恋人に持った男性の宿命ですよ。くずれちゃったら商品価値がなくなってしまいますものね。でも、体を商品にしても、私だって女ですもの、十回に一回は胸に触れてほしいということもありますよ」〉
 これらの言葉から窺うかぎり踊り子の世界には酷な制約があるものだ。あるいは、こういう制約があればこそあの華麗な舞台は存在したともいえよう。
〈「踊り子ってやっぱり突っぱってるところがあるんですよね。胸を出すってことだけでも、どこかで突っぱらないともたないんです。それだけに最後んところをわかってくれる人がほしい。寂しいんですよ」〉
 女の制約はおのずと男のそれでもある。彼女をわかったうえで、胸にも自由に触れられない行動の制約が。
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by yumenonokoriga | 2012-04-25 09:05 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(7)

Commented at 2014-09-04 13:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yumenonokoriga at 2014-09-05 08:45
舞留魔亜仮面さま
おたよりありがとうございます。岬マコさんは女性フアンも多かったそうですね。
Commented by 舞留魔亜仮面 at 2014-12-01 14:22 x
管理人様こんにちは。出来れば愚生の嘗ての「アイテム」を再び出せれば、誠に幸甚です。以前はHPも公開していたのですが、如何せん諸事情に因り今現在は閉鎖中です。昔は結構あちこちの「マニアショップ」に委託で出していたのですが、余りに長い期間お得意ともご無沙汰ですので、もしも機会があれば序ジョに紹介したいと思います。
Commented by yumenonokoriga at 2014-12-02 09:18
☆舞留魔亜仮面さま
コメントありがとうございます。おかげさまで「夢の残り香」も無事着地しました。ご愛読に感謝します。
Commented by at 2014-12-14 17:18 x
この女、腹ドス黒くて嫌いだ。
もう60代後半だが、地位も人望も何も手に入れられなかったのが証拠。客を大事にしないしさ。
Commented by 舞留魔亜仮面 at 2015-03-29 12:12 x
管理人様こんにちは。愚生がまだ若かりし頃、「ロマネスク」と云う名のエロ雑誌のグラビアで、丁度日劇ミュージックホールの特集が掲載されていましたが、其の中の一幕、「翳りゆく部屋」のレスビアンショーは本当に圧巻でした。愚生は今でも其のシーンを思い出す度、自身の「海綿体」が疼くのを感じます。(大爆)
Commented by yumenonokoriga at 2015-03-29 14:36
舞留魔亜仮面さま
懐かしいお話わありがとうございます。「ロマネスク」の該当記事(写真)、いつか古書店の店先で見つけたいものです。