ヌードとストリップ

a0248606_1055557.jpg ヌードとストリップ、傍目にはそれほど目くじら立ててあれこれ論ずるほどの問題ではないけれど、ハダカで飯を喰うとなるとそうはまいらない。
 戦後のストリップ全盛時代を演出したひとりで、浅草の空気座、フランス座、ロック座と幅広く活躍し、一九七四年(昭和四十九年)に他界した深井俊彦は中谷陽編『ストリップ昭和史』に収めるその遺稿「ストリッパーとヌードダンサー」で次のように述べている。
〈ヌードダンサーのほうが、ストリッパーより格が上のように見られて、そこからストリップは昔日の面影を残さなくなってしまった。ヌードダンサーと云われるより、ストリッパーと呼ばれるほうが、私には本当に「芸」のある踊り子に思えるのだが・・・・・・。〉
 深井俊彦が死ぬまでこの問題にこだわっていたのは感動的ですらある。
 現在の感覚からすればストリップとヌードの語感はどうなるのだろう。小林信彦氏が両者の差はアダルトビデオと裏ビデオの差だと思えばよいといっていたが、この場合のヌードはオールヌードのことである。
 日劇ミュージックホールの作戦はパリのリドやムーランルージュのショーを日本に移そうとするものだった。それは深井俊彦の言葉を借りると「胸のあたりは最初から露出している。豪華な衣装を纏っているが、それは脱ぐ為のものではなく、マヌカン的な役目を果す為のもの」だった。
 これに対してミュージックホール初期のスターであるヒロセ元美は「私はストリップ・ティーザーよ!」と反論していたのであったがやがてミュージックホール入りしてしまう。
 もっとも彼女の在籍期間は短期間に終わっている。演出家の岡田恵吉が語るところによると、ヒロセは男運に恵まれず、メリー松原には矢野英二という振付師が、ジプシーローズには正邦乙彦というマネージャーがそれぞれ付いていたのに対し、彼女にはそうした頼りになる男がいなかった。おまけに惚れっぽくて、セックスのテクニックにもたいへんな自信を持つ自惚れ屋だったから、楽屋内で男をめぐるトラブルもあった。
 ひょっとすると早くにミュージックホールを去ったのは楽屋内のことばかりでなくこのヌードとストリップの問題にこだわりを覚えていたのかもしれない。
 
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by yumenonokoriga | 2012-08-25 09:09 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)