2012年 11月 10日
高見緋紗子のストリップティーズ
本当の意味でのストリップは戦後の一時期、楽屋で目の色を変えてスパンコールを縫いつけていたころのそれだと橋本与志夫は述べている。このころ踊り子たちは一枚一枚脱ぎながら、客をじらしていく、古典的なストリップを演じていた。
そんな橋本が愛してやまないストリップを日劇ミュージックホールで見た記憶がある。踊っていたのは高見緋紗子。トップスターではなく二番手のスターとして気品のある美しさを保ち、やさしい微笑みを絶やさず舞台を支えていた。一度だけその古典的なストリップに接したことがある。見事なものだった。
もともとこの劇場には舞台に向かって右側に小編成のバンドが演奏するボックスがあったが、記憶では一九七0年代のはじめ合理化により生演奏からテープに代わった。そのためボックスは不要になり、ここも舞台の一部として使われることがあった。
高見緋紗子が演じたのはこの狭い空間だった。優雅に、エロティックに衣装を脱いでゆく、肉体の動きにライトがあたって肌はピンク色に近いほどに映る。いずれの公演だったか特定できないが、生演奏からテープに切り替わったころだった。
高見緋紗子はグラマーというほどではない、かといってスレンダーでもない、とてもバランスのよいタイプだった。美しくやわらかな表情も印象的だ。はじめ浅草のロック座やフランス座で踊っており、やがてミュージックホールの専属になったという。七十年代はじめはもうベテランの域にあったと思われるが、とてもそんなふうには見えなかった。
プロとしての節制努力もなみなみならぬものがあっただろう。顔にも身体にも年齢が表れにくいタイプだったようにも思う。そして印象に残るのは男をやさしくつつんでくれるような雰囲気だ。
「G・U」なるイニシャルの人がパンフレットに彼女のことをこんなふうに書いている。
〈ベテランとはいえ、まだまだ年齢は若いのだが、高見にあこがれた青年が、もし楽屋を訪れたとしたら、このひとは決して恥をかかせたりせず、だれよりもやさしく扱ってくれるのではないだろうか。青年は、高見の胸に抱かれて「母」を感じるに違いない〉
(写真は石崎勝久『裸の女神たち』より)