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夢の残り香~日劇ミュージックホールの文学誌

日劇ミュージックホールと朝鮮戦争

日劇ミュージックホールと朝鮮戦争_a0248606_1015445.jpg 日劇小劇場のストリップ興行は好成績を挙げていたがこれを苦々しく見ていた人物がいた。小林一三、そう阪急、東宝グループの総帥だから日劇のオーナーでもある。いわく「俺は丸の内で女郎屋をやる気持はない」。
 その結果日劇小劇場は閉場し紆余曲折あって誕生したのが日劇ミュージックホールだった。その戦略は他のストリップ劇場との差異化すなわち高級感をアピールし競争に勝ち抜くことだった。小林は作家志望で谷崎潤一郎に弟子入りを願っていた丸尾長顕に、下手な小説を書くのはやめてミュージックホールに専心しろといったというからハダカ商売は絶対だめというのではなかったわけだ。
 日劇ダンシングチーム、越路吹雪を中心とする東宝ミュージカルが秦豊吉、演劇部門が菊田一夫、映画部門が森岩雄、藤本真澄、そうしてハダカ部門が丸尾長顕というのが当時の芸能方面における小林の人材配置だった。関西が本拠だった彼は月に一度は上京して一週間滞在するのを常としており、そのかんに勤務評定を兼ねてであろう必ずミュージックホール観劇が予定に組まれていたという。
 一九五二年の日劇ミュージックホールについで翌々年には関西版のOSミュージックホールがスタートした。これについては一九五0年に起きた朝鮮戦争と関連しているとの指摘がある。演劇評論家の尾崎宏次は「国破れてハダカあり」(『文藝春秋」にみる昭和史』所収)においてミュージックホールの開場は朝鮮戦争と無縁な現象ではなく、在日米軍の兵士を客に取り込もうとする戦略があり、OSミュージックホールの発足もその一環だったと述べている。
 とすれば小林一三がストリップは追放しても外人受けする高級ヌードショーには文句をつけなかったのも理解できる。新劇場隆盛には在日駐留米軍の兵士は欠かせなかった。丸尾長顕によれば一時は観客の三分の一がアメリカ駐留軍兵士もしくはその関係者だった。
 マーケット・リサーチはしっかりされていたのだ。ストリップ追放作戦の真意は日本人にくわえ外人客をも呼び込もうとするものだった。そこで初期には観客層に照準を合わせて多数の外人ヌードを出演させた。やがて外人ヌードは売り物ではなくなり、米軍兵士中心の客層も変わったが、それを受け継いでここは欧米さらに台湾や東南アジアからの観光客が多く訪れる劇場となった。
(写真は『日劇ミュージックホールのすべて』第三景「ブロンドの淑女」より)
by yumenonokoriga | 2013-01-30 10:11 | 日劇ミュージックホールの文学誌

いまはない日劇ミュージックホールをめぐるコラムです。

by yumenonokoriga
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