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夢の残り香~日劇ミュージックホールの文学誌

女子プロレスと日劇小劇場

女子プロレスと日劇小劇場_a0248606_12162345.jpg 日劇小劇場一九五0年(昭和二十五年)六月公演「女のパクパク」で検挙されたパン猪狩について、日本の女子プロレスの創始者との説があるそうだ。
 一九四八年(昭和二十三年)弟(のちに東京コミックショーのショパン猪狩)と一緒に三鷹市で小さな道場を開設し、猪狩自身は柔道、弟はボクシングとプロレスのセコンドの経験があることを生かし、妹の猪狩定子を含め何人かの女性に格闘技を教えたという。ただし目論んでいたのは純粋な格闘技ではなくスポーツショーだった。
 そのパンスポーツショーは駐留軍のキャンプを回ってコミックボクシングを演じ、ついで女子レスリングを取り入れた。評判がよかったのだろう日劇小劇場から声がかかり「女のパクパク」のときも演じていたのはレスリングショーだった。
そのときのことをパン猪狩の証言に見てみよう。
〈ほんとはね、ウチが挙がるはずじゃなかったの。女のパクパク御用だって、劇場に入ってみたらやってるのはちっともパクパクじゃないんだよ。でもなんか挙げなきゃ警視庁だって面目丸つぶれじゃない。で、舞台に目ぇ光らしてたら、男と女が出て来て組んずほぐれつね、上になり下になりがはじまったわけだ。オレは妹と組んでレスリングやってたんだよ。両方、海水着だ。そんときのレフリーが沢村い紀雄。で、警察としては、こいつら捕まえろになっちゃった。舞台終わって楽屋に戻ったら、ちょっと警察に来いだよ。〉
取り調べでは、女と上になったり下になったりして、いい気持ちになってんだろうといったことも訊かれていて、あれは妹、長男としておしめを取り代えたりした妹なんですと説明しなければならなかった。そのとき出演していた猪狩定子はレスリングショーだけではなく、じっさいリングでも闘っていて、日本人最初の女子プロレスラーとして女子プロレスの殿堂入りをしている。またレフリーの沢村い紀雄(のちにいき雄に改名)は東宝映画に欠かせない脇役として、多くの作品でタクシー運転手や守衛、店の主人役などの小市民役を演じた。
 古今亭志ん朝がある噺のまくらで、若い女が気持を高ぶらせ、顔を紅潮させ、ときに表情をゆがめて義太夫を唸る、女義太夫のそこに男は惹かれたのであり、それは女子プロレスの好みと通じていると語っていた。これはまた日劇小劇場の舞台にも通じている。
(写真は沢村いき雄)
by yumenonokoriga | 2013-04-30 12:09 | 日劇ミュージックホールの文学誌

いまはない日劇ミュージックホールをめぐるコラムです。

by yumenonokoriga
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