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夢の残り香~日劇ミュージックホールの文学誌

『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』

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 鴨井羊子には下着デザイナーとしての半生を綴った『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』という著書がある。はじめ一九七三年に三一書房から刊行され、いま、ちくま文庫で再刊されている。
 彼女は一九五八年(昭和三十三年)に「女は下着でつくられる」という映画を監督している。本書に「私は亀井文雄さんの指導で映画を一本監督した」とあることから、亀井監督の指導と協力を得たことが知れる。スタッフ、出演者ともに十人ほどで、神奈川県厚木をロケ地として三か月滞在して撮った。十人の出演者のうちにはジプシー・ローズ、奈良あけみ、小浜奈々子がいた。
 雨の日は旅館で麻雀の場が立ったが鴨井羊子は嫌いで、もっぱら踊り手にジルバなどを習っていたとあるから、教えていたのは日劇ミュージックホールの三人だったかもしれない。
 当時の彼女の回想をもうひとつ引いておこう。
〈奈良あけみちゃんという大柄なストリッパーとレスリングをし、ジプシー・ローズがレフェリーをつとめた。私はもともと女レスラーになろうとさえ思ったくらい力自慢だったからコテンのパーにあけみちゃんをたたきのめした。彼女はくやしさのあまり私のズボンにかみついてボロボロに引きちぎった。でも彼女もジプシー・ローズもやさしい人で、姉さん気取りで私を子分らしくあつかい、一升瓶をおいてよくのみあかし、あげくに着てるセーターなどをパッと脱いてはプレゼントしてくれた。〉
 奈良あけみのレスラーもさることながらジプシー・ローズのレフェリーというのがほほえましい。彼女はOSミュージックホールの舞台で「笑いなさい」という演出家に「私は笑いません」と言って衝突したことがある。このときは丸尾長顕がなかにはいって一人くらい笑わない踊り子がいてもいいじゃないかと演出家を説得して収めた。そんな彼女もこのときは天真爛漫の笑顔でレフェリーを務めていたのだろう。
 この年、公演記録を見るかぎりジプシー・ローズはミュージックホールの舞台に立っていない。前年一九五七年(昭和三十二年)九月二十三日から十一月十日にかけての「ラスベガスの蜘蛛と蠅」を最後に彼女の名は公演リストに見えない。「女は下着でつくられる」はミュージックホールのスターとしてのほぼ最後の仕事だったと思われる。
by yumenonokoriga | 2013-08-15 09:04 | 日劇ミュージックホールの文学誌

いまはない日劇ミュージックホールをめぐるコラムです。

by yumenonokoriga
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