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夢の残り香~日劇ミュージックホールの文学誌

「すべて乳房からはじまる」

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 はじめて日劇ミュージックホールの舞台に接したのは大学生になって上京した一九六九年(昭和四十四年)の春だから「ばんざい昭和元禄」か「触覚の季節」のはずだが、いずれかの記憶はない。
 前者であればトップが小浜奈々子で、彼女とアンジェラ浅丘の名前は知っていたから、ここで見ていれば印象に残っていなければならないはずだが、それもおぼえていない。後者のトップ星ひとみは知らない名前で、はじめての観劇は「触覚の季節」の可能性が強い。
地方出身の貧乏学生に余裕はなく、小遣いのすくないのをものともせずせっせと通うほどの熱心さはなかった。いつだったかせっかく入ったのにトップスターのアンジェラ浅丘が休演していてがっかりしたのをおぼえている。
 転機となったのは一九七二年(昭和四十七年)一、二月公演「すべて乳房からはじまる」だった。開場二十周年記念公演とあるだけで、小浜奈々子の引退は謳われていないが、これが最後のステージとなった。斯界の大スターの舞台にかろうじてまにあったのは僥倖としなければならない。
出演者はトップに小浜奈々子、つぎに松永てるほ、朱雀さぎり、高見緋紗子が来て、さらにのちにトップスターとなる岬マコ、舞悦子、浅茅けい子たちがつづいた。松永てるほと朱雀さぎりはすでに一本立ちのスターだったから本格的な共演はおそらくこの舞台が最後ではないか。ゲスト歌手はNDTの藤井輝子。
 豪華な出演者による舞台は華やかで美しく、わたしが観た全公演のうちで最高の舞台だった。買ったことのないパンフレットを求めたのもこのときがはじめてで、それほどに魅せられていた。
これ以後一九七三(昭和四十八年)五、六月の「五月雨に女は濡れた」までの九つの舞台はすべて観た。およそ一年半のあいだ二か月に一度は必ずミュージックホールに通っていたわけだ。
残念ながら帰郷して就職したから以後は上京した折りにしか接することができなかった。公私用含め多いときで年間三回。一回限りの年もあった。これがわたしのミュージックホール観劇のすべてで、マニアの足許にも及ばない。
 ミュージックホールの閉場を知ったときは、東京へ行くたのしみがひとつ減ったなといささか気落ちしたものだった。
by yumenonokoriga | 2013-11-15 10:34 | 日劇ミュージックホールの文学誌

いまはない日劇ミュージックホールをめぐるコラムです。

by yumenonokoriga
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