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夢の残り香~日劇ミュージックホールの文学誌

「デベソ」

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 舞台、演劇用語としての「デベソ」は客席に突きだして、観客に囲まれる形になった舞台で「セリ」とも呼ばれる。客席に突き出た張り出し舞台で、ストリップ劇場の舞台やファッションショーでのキャットウォークに用いられている。もちろん有楽町、日比谷通じて日劇ミュージックホールにもあった。
 この「デベソ」について小沢昭一は「裸師たちとの出合い」で、一九四九年(昭和二十四年)春に浅草六区興行街のはずれ、旧江川劇場の地下に誕生した浅草座というストリップ劇場があり、ここが舞台中央から花道のように廊下が客席へ張り出していて、「デベソ」はおそらくこの劇場が最初に試みたものではなかったかと述べている。椅子席五、六十の、踊り子が手にとれるほど接近してくる小屋はなんとも衝撃的で、ちょっとパリの場末の気分を想像させたという。この推論が正しければミュージックホールは浅草座の後塵を拝したわけだ。
 小沢によれば、浅草座をひいきにして通っていたころストリップの世界はこれから進むべき方向として西欧的なバーレスクショーか本邦伝統の見世物芸か、どちらを採るかで揺れていた。結果は西欧型は日劇ミュージックホールだけで、あとは土着的な見世物型に収まった。後者の浅草座はBCクラスの踊り子の劇場であり、見世物としてあの手この手をほどこしていたそうだ。そのころ浅草のAクラス人気ストリッパーとして小沢はメリー松原、ヘレン滝、朱里みさを、ミス池上の名前を挙げている。
 このうちメリー松原は「西欧的なバーレスクショー」のトップ・スターとなり有楽町の「デベソ」の舞台まんなかに立った。
 ついでながら朱里みさを(写真)はミュージックホールにも出演しているがヌードとしてではない。あるいは小沢昭一の記憶ちがいかもしれない。
 彼女は七十年代はじめに大ヒットした「北国行きで」を歌った朱里エイコのご母堂で、映画では一九五0年の大映作品、木村恵吾監督「淺草の肌」で見たことがある。六区の裏通りにある寂れたレビュー劇場美銀座が舞台で、主演は京マチ子、朱里みさをは北見カナ子という京の先輩の踊り子役として出演していた。
by yumenonokoriga | 2013-12-10 08:37 | 日劇ミュージックホールの文学誌

いまはない日劇ミュージックホールをめぐるコラムです。

by yumenonokoriga
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