2014年 01月 30日
東劇バーレスクと映画「シェーン」のことほか
「ジプシー・ローズの東劇バーレスクが突如として中止になったのは、東劇のチャリティー・ショーに出席する皇太子殿下が、運転手のミスで、東劇バーレスクの玄関に車を寄せ、恐れ多くもジプシー・ローズのエロティックなポーズの看板がそこにあった為だという」。
永六輔『芸人その世界』にある逸話だが、近藤啓太郎『裸の女神』にはやんごとない方面が東劇にやって来たのは「西部劇映画『シェーン』の一般公開に先立つプレミアム・ショーだかチャリティ・ショーだかが盛大に行われたとき」と記述されている。
東劇バーレスクが開場したのは昭和二十八年(一九五三年)一月一日、そして翌年一月限りで閉場した。いっぽう「シェーン」の日本公開は同年十月二十日だからありそうな話ではある。いずれにせよ皇族とジプシーローズの看板とを出会わせたことは松竹の大谷竹次郎会長の逆鱗に触れた。この事件の翌々年同会長は歌舞伎の伝承発展への貢献を認められ文化勲章を受章している。
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浅草でジプシー・ローズを永井荷風に引き合わしたのはロック座のピカ一、園はるみというストリッパーだった。つんつるてんの背広に下駄履き、片手に買物籠をさげた姿の老人をいぶかしんだジプシーが、「あんまり変なの、紹介しないでよ」と言うと園はるみは「あら、何おっしゃるの、ジプシーちゃんは。ニフウ先生じゃないのよ、有名な・・・・・・」「こちら、永井ニフウ先生よ。ほら、知ってるでしょう。濹東綺譚・・・・・・」と紹介したという。
荷風をニフウ先生と呼ぶ踊り子がしっかり「濹東綺譚」を口にしているところにまゆつばを思わせないでもないが詮索のしようもない。
日劇からタクシーに乗って有楽町へ焼き芋を買いに行ったり、給料の前借りに来ては給与担当者の頭をスカートの中に入れて貸してよと言うへんてこな個性のオソノさんだが、ストリッパーとしての実力は高く、岡田恵吉『女のシリ・シンフォニー』には「現在東京だけにも百二、三十人の裸を売り物にする踊子がいるだろう。その中でストリップ・ティザァと呼べるのはヒロセ・元美を筆頭に園はるみ、島崎魔子、フリーダ・松木くらいのもの」とある。