一条さゆりの夢

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 加藤詩子『一条さゆりの真実』によれば、晩年の一条さゆりは現役時代を回想して「きれーな羽つけて踊ってねー・・・・・・」と口にしていたという。
 ローソクショーで名を揚げた彼女が、郷愁として思い出すのは踊り子になりたてのころの自身の姿だった。羽飾りのついた衣装でマンボに合わせて踊って、だんだん脱いでいって、最後にバタフライひとつになったところで、さっと外すと舞台が暗転する、これがそのころの彼女の舞台だったという。
 踊り子としてはじめて舞台に上がったのがいつだったのかははっきりしないけれど、加藤詩子は昭和三十三年ころと見当をつけている。たしかなのは、岐阜簡易裁判所で猥褻としてはじめて罰金刑を受けたのが昭和三十八年六月五日のことで、このころ名古屋、岐阜の警察は舞台でのヘアー露出には特にうるさかったという。そのかん彼女の逮捕歴は回を重ね、舞台での「猥褻度」はエスカレートしていき、その行き着いた果てがローソクショーであった。
 ここで彼女は俄然注目された。昭和四十六年のことで、これには駒田信二の小説が与って大きかった。悲しい過去を背負った伝説的ストリッパーの誕生である。こうして彼女は絶頂期を迎えたが、しあわせな時期であったかどうかについては加藤詩子は否定的な見方をしていて、彼女の踊り子人生の中では羽飾りをつけて踊っていたころが一番楽しかったのではないかと述べている。また、一条さゆり自身も大やけどを負ったとき「ベッドの中で朦朧とした意識で痛みと闘っている時に、そんな華やかな羽の衣装で踊っていた頃の自分が、走馬燈のように夢の中で出てきた」と語っていたという。
 一条さゆりが「きれーな羽つけて踊って」いたのは踊り子になってほんのわずかの期間だった。乳房は出しても乳首は隠され、下は脱がないといった時代、いわば牧歌的なストリップの時代は終焉を告げ、いわゆる「特出し」の時代がはじまろうとしていた。つまり、彼女が踊り子になったころすでにストリップ劇場で羽をつけて踊れる時代は終わろうとしていた。日劇ミュージックホールというたったひとつの劇場を除いては。
こうした文脈のなかで、ミュージックホールのオーディションを受けたとか、ここで踊っていたとかの彼女の言葉を思うと、ここには彼女の見果てぬ夢があったと考えられる。羽飾りに憧れながら、しかし自身が演じていたのは「特出しの女王」だった。     
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by yumenonokoriga | 2014-04-15 08:25 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)