2014年 06月 10日
「丸の内から裸追放」
昭和二十七年一月末を以て日劇小劇場は閉場と決定した。これを朝日新聞が報じたのが一月七日。二段見出しで「丸の内から裸追放、日劇小劇場高級ショーへ」というものだった。
ここでひとつ問題が起こった。丸の内からストリップ追放、とはなにごとかと、折から上演中の「女の門松」に出演していたヒロセ元美はじめ十五人のストリッパーたちはこの言葉にカチンと来た。しかもオーナーの小林一三の発言として紹介されている。
ストリップでさんざん儲けておいて、あげくのはてに追放とはなにごとかと彼女たちはおさまらず、こうして、ストリッパーのストライキとあいなった。ストリッパーのストというわけで世間の注目度も高かった。
対応にあたったのが丸尾で、これはストリッパー諸嬢の言い分が筋が通っている、ストは当然だし、陳謝を要求ずる権利はある、しかしながら「追放」の記事は小林一三がいったものではなく、東宝宣伝部が朝日新聞に流した記事なのだと説得に努めた。彼女たちを連れて朝日新聞に確認にも行ったという。こうしてストライキはなんとか収拾したが、真相はどうだかはっきりしない。
ここのところの事情について、のちに丸尾長顕は『回想 小林一三』で次のように述べている。
〈小林一三氏は何ら発言した形跡はみられなかった。いわば宣伝部の、次にくるミュージックホールの前景気づけの宣伝記事であったようにさえ思われる。〉
真偽はともかく小林一三の「ストリップ追放宣言」は小林及び東宝の、ミュージックホールという新劇場はストリップというイメージではない新たなショーをつくってゆくという意志のあらわれだったのはたしかだろう。
昭和二十七年一月三十一日が日劇小劇場最後の日となった。新聞には「裸の歴史に涙の別れ・日劇小劇場最後の夜」「丸の内の涙・さよならハダカ」といった見出しがあり、千秋楽にはヒロセ元美、マヤ鮎川などが時折り涙を拭っていたという。