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夢の残り香~日劇ミュージックホールの文学誌

ダンサーたちのその後

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 いまインターネット上の国立国会図書館の検索機能にキィワード「日劇ミュージックホール」と打つと、最新の文献として「週刊新潮」二00八年三月六日号所載の藤原佑好「日劇ミュージックホール 『ヌードダンサー』という人生」という一文が出る。すくなくともメジャー系の刊行物にミュージックホールの特集記事が載ったのはいまのところこれが最新のものだろう。
 何人かのダンサーたちの舞台を降りての「その後」とエピソードが語られているのが貴重だ。
 たとえば伊吹まり。引退後は西銀座でバーを開いていたが、しばらくして閉店し、仏門に入り、全国行脚をしていたという。丸尾長顕の子息俊太郎氏が二00七年に病死したと彼女の消息を伝えてくれている。
 ミュージックホールがなくなったあともクラブやナイトクラブで踊っていた松永てるほが引退したのは昭和の最後の年、このとき彼女の身体は長年のハードなレッスンのために足腰を痛め、正座することも歩くこともままならない状態で、変形性関節症と診断した医師からはこのままでは車椅子の生活になると引導を渡されていた。伴侶を得たのち彼女はダンサー時代を振り返って「世間はヌードダンサーといえば、スケベ心を持って見ます。でも、私たちは美しい女性の裸を見ていただくために、ダンサー一筋で命を張って生きてきました。悔いはありません」と語っている。
 松永てるほとともにトップスターの座にあった朱雀さぎりは平成四年にガンで亡くなった。病床を見舞った松永てるほが声をかけるともうほんとんど意識がなくなっていた朱雀さぎりが手を差しのべてきて、松永てるほはギュッと握り返したのだった。
 おなじく大山節子(写真)もガンを患ったが、左の乳房を切除して一命はとりとめた。嘆く姉に妹は「お姉ちゃんはこれまでキレイなおっぱいをみんなに見せて、スポットライトを浴びて、花束もらってきたじゃない。お姉ちゃんが舞台に登場すると、手を合わせるファンもいた。キレイだった頃の写真も残っているし、幸せじゃない」と語りかけた。大山節子はいま愛知県一宮市でエステ店を共同経営している。
by yumenonokoriga | 2014-07-20 09:43 | 日劇ミュージックホールの文学誌

いまはない日劇ミュージックホールをめぐるコラムです。

by yumenonokoriga
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