美女の形容

 ときどき気が向いたときに『千夜一夜物語』を読んでいる。テキストは英語で著されたバートン版で訳者は大場正史。中世のイスラム世界がいきいきと描かれた同書にはいまのイスラム世界のイメージからはほど遠いたくさんの艶笑譚が収められている。
 たとえば同書第九夜「バグダッドの軽子と三人の女」で、たぐいまれな美女が一糸まとわぬ姿で池に飛び込み、ひと泳ぎしたあと上がってきて、自身の「細長い切れめ、つまり裂け口」を指さして、軽子(荷物運搬を業とする人足)に、ここは何というのと問いかける場面がある。
男が「それは玉門といいます」と答えると美女は、そんな言葉を口にして恥ずかしくないのとばかにする。軽子はあれこれ挙げてみたものの女は満足せず、だったら貴女はそこを何と呼ぶのかと逆に質問したところ「橋のめぼうき」との答えが返ってきた。
 日劇ミュージックホールの美女をめぐるコラムの筆者としてはまことに慚愧に堪えないのだがイスラム世界の美女が口にした「橋のめぼうき」がわからない。ちくま文庫の註釈には「めぼうきCcymum basilicumは、ボッカチオ第四日第五話のbassilicoにあたる」とあるが、困ったことにこれでは余計にわからない。博雅の士のご教示をお願いしておきたい。
 念のため『デカメロン』の該当箇所にあたってみたが「橋のめぼうき」に関連のありそうな言葉はなかった。
 それはともかく、軽子はさらに別の美女からおなじ質問を受ける。そこで「橋のめぼうき」と応じたが、女はこれを拒み「莢をむいた胡麻の実」と言う。胡麻の実を知らない方は落花生を思いうかべるとよいでしょう。
 くわえて三番目の女が同様の問いかけをする。男は「橋のめぼうき」「莢をむいた胡麻」を挙げたがいずれもだめでここは「旅人の宿」じゃないのと言うのだった。「旅人の宿」なんとなく風情があっていいですね。こんなふうに女性の性器をどのように表現するかをめぐってやりとりがつづく。
 ついでながら手許にある『アメリカ俗語辞典』(ユージン E.ランディ原編 堀内克明訳編 研究社出版)のvaginaの項には五頁余にわたり千以上の訳語があり、その表現においてわが日本もイスラム世界に負けず劣らずずいぶんと意を用いてきたと知れる。残念ながら旅人の宿はなかったが、旅の縁語とおぼしいのを拾うと愛の泉、華門、花洞、秘丘といった具合。
 もうひとつイスラムの文学は美女をどんなふうに形容しているかを眺めてみよう。前項とおなじ「バグダッドの軽子と三人の女」には以下の記述がある。
 「背のすらりとした、およそ身の丈五尺ばかりの女で、器量といい、愛くるしさといい、ひときわすぐれ、まさしく豊艶と均整と、たとえようもない優雅さの雛形」
 「額は花のように白く、頬はアネモネのように紅に輝き、目は野生の若い牝牛か、羚羊のそれ。眉は第八月(シャーバン)を終わり、第九月(ラマザン)を迎える三日月のようでございました。また、口はといえば、スライマンの指輪にまごうばかりで、唇は珊瑚のように赤く、歯並びは真珠かカミツレの花びらを横にならべたようで、のどもとは羚羊をしのばせ、乳房は同じ大きさのふたつの柘榴に似て、いわば人に歯むかうように、つき出ていました」
 「体は着物の下で、丸めた金襴の錦のように、波をうって起伏し、お臍には一オンスの安息香油もはいりそうでした」
 というふうに美人の形容の総論は豊艶と均整と優雅で、あと各論として額、頬、眉、歯並び、乳房そして最後にお臍がくる。ベリーダンスを浮かべるまでもなく、イスラム世界のセクソロジーにおいてお臍はたいへん重要な位置を占めていると考えられるが、そのいっぽう『千夜一夜物語』はお臍、「旅人の宿」につづく脚線にはまったく触れていない。あるいはこれもイスラムふうなのかもしれない。
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by yumenonokoriga | 2017-03-21 10:25 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)