カストリ時代

 第二次世界大戦直後の日本で出回った粗悪な密造焼酎を俗にカストリと呼んだ。統制外の粗悪な紙を用いて濫造された低俗な内容の雑誌を指してカストリ雑誌という。つまりカストリは戦後すぐの時期を象徴する言葉だった。
 林忠彦『カストリ時代』という写真集があり、朝日文庫版の表紙には日本劇場の屋上に横たわる踊り子の写真があしらわれていて、この表紙にふさわしく「裸と夢」の一章がある。
 敗戦後の解放感と女性の美がセットになった「裸と夢」という題がよい。昭和二十二年に撮影した日劇ダンシングチームのラインダンスの写真に添えて写真家は「ラインダンスは戦前からあったが、華やかに復活した」と書く。昭和十三年に岩波書店から上梓された永井荷風『おもかげ』には荷風みずから撮ったラインダンスの写真があるが両者をならべて眺めると「華やかに復活した」という気分になってくる。
 カストリ時代は停電が多く電車が停まるので、家から劇場へかよっていると時間にまにあわなくなるおそれがあるため、劇場に泊まり込みの踊り子が多くいたという。同書には国際劇場の泊まり込み用の布団が数列にわたって置かれた写真がある。「夢」の舞台裏を撮った貴重でいとおしい一枚だ。
 昭和二十四年の日本劇場五階は日劇小劇場、いわゆる日小の時代で、このころからストリップ全盛の風潮の余波が日小に及んだ。「演しものにもお色気主体の作品が目立ちはじめ、セントラル・ショーや朱里みさをとパルナスショーなどの進出にも刺戟されて日小独自のエキサイトショー、クライマックス・ショーの上演にいつながっていった」と橋本与志夫「日劇ミュージックホール30年の歩み」にある。
 「女の楽園」「女の祭典」「女の凱旋門」「女の宮殿」「女の摩天楼」というのが昭和二十四年当時の演目で、これが二十五年、二十六年になると「女のポポ」「濡れるマンボ」「女のデデ」「色ぼけポポ」「女と毛槍」「女の川開き」というふうにきわどさは下流のほうへと発展した。
 劇場支配人以下出演者の何人かが所轄の丸の内署に連行されることもしばしばあり、やがて小林一三の「丸の内からハダカを追放せよ」との大号令が下された。
 昭和二十七年日劇小劇場は日劇ミュージックホールとあらため再出発したが、これとカストリ時代を重ねてみると、日小の終焉を以てカストリ時代は終わったとみえる。ちなみに経済企画庁「経済白書」に「もはや戦後ではない」と記述されたのはミュージックホール開場の四年後、昭和三十一年のことだった。
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by yumenonokoriga | 2017-08-30 11:57 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)