資料紹介~新潮45 2017・7月号

 たまたま図書館で手にした雑誌「新潮45」7月号グラビアに日劇ミュージックホールをはじめロック座、新宿セントラル劇場などのパンフレットの画像が掲載されていました。
 また踊り子ではジプシー・ローズ、吾妻京子、伊吹マリ、園はるみ、ハニー・ロイ、桜洋子、春川ますみ、ヒロセ元美、アンナ水原の写真があります。
 題して「時代の標本 松田コレクションの世界 7」~嗚呼、ストリップ時代
 映画演劇史料収集家 松田集氏のコレクションと説明があります。
 多くは昭和二十年代なかばから三十年代前半にかけての「時代のついた」貴重なもの、あの時代を知らなくても昭和のノスタルジーが喚起されます。未見の方、手に取ってみてください。
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# by yumenonokoriga | 2017-07-03 10:55 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

『谷口征写真集 THE DANCER 殿岡ハツエ』

 本ブログをご覧くださっているある方から日劇ミュージックホール関係の資料を何点かいただきました。ありがとうございます。感謝に堪えません。
 いずれも貴重なものばかりのなかで、とりわけ標題の写真集は著者名も書名も、つまり本の存在さえ知らなかったものですから、ことのほか意外の感がしました。ミュージックホールのダンサー個人の写真集としてはわたしが知る限りでは唯一のものです。
 書誌については以下のとおりです。
『谷口征写真集 THE DANCER 殿岡ハツエ』
昭和五十年十月十七日第一刷発行
発行所 スタジオ・テン
協賛 旭光学商事株式会社
 三十三葉の写真のモデルは殿岡ハツエひとりだけ。ほかには、冒頭に「“踊りは仕事なんだけど休息でもあるのよ。一人でいる時も踊っているのよ」というモデルのことばと、最後に散文詩のようなカメラマンのあとがきがあります。
 踊り子を撮りつづけたカメラマンとしては稲村隆正を知るだけでしたが本書で谷口征という方を知ったしだいで、同氏は『黒木瞳―17か月のDesigned Woman』『叙情の虚構―永島暎子写真集』『褐色のままでー向井亜紀写真集』といったふうに女優を対象とする作品集を多く刊行されています。
 殿岡ハツエは昭和三十年代後半から五十年代はじめにかけてしばしばミュージックホールにゲスト出演したダンサーで、客演したセミヌードのダンサーとしてはいちばん回数を重ねていると思われます。本書には彼女の踊るよろこびや官能的な姿、またコケティッシュな表情などその多彩な魅力がいっぱい詰まっています。
 なお、本ブログの二つの記事「『いれずみ突撃隊』と『かぶりつき人生』」(2014/12/10)ならびに「プカプカ」(2014/12/15)にもご登場いただいていますので参照していただければさいわいです。
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# by yumenonokoriga | 2017-05-16 11:30 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

美女の形容

 ときどき気が向いたときに『千夜一夜物語』を読んでいる。テキストは英語で著されたバートン版で訳者は大場正史。中世のイスラム世界がいきいきと描かれた同書にはいまのイスラム世界のイメージからはほど遠いたくさんの艶笑譚が収められている。
 たとえば同書第九夜「バグダッドの軽子と三人の女」で、たぐいまれな美女が一糸まとわぬ姿で池に飛び込み、ひと泳ぎしたあと上がってきて、自身の「細長い切れめ、つまり裂け口」を指さして、軽子(荷物運搬を業とする人足)に、ここは何というのと問いかける場面がある。
男が「それは玉門といいます」と答えると美女は、そんな言葉を口にして恥ずかしくないのとばかにする。軽子はあれこれ挙げてみたものの女は満足せず、だったら貴女はそこを何と呼ぶのかと逆に質問したところ「橋のめぼうき」との答えが返ってきた。
 日劇ミュージックホールの美女をめぐるコラムの筆者としてはまことに慚愧に堪えないのだがイスラム世界の美女が口にした「橋のめぼうき」がわからない。ちくま文庫の註釈には「めぼうきCcymum basilicumは、ボッカチオ第四日第五話のbassilicoにあたる」とあるが、困ったことにこれでは余計にわからない。博雅の士のご教示をお願いしておきたい。
 念のため『デカメロン』の該当箇所にあたってみたが「橋のめぼうき」に関連のありそうな言葉はなかった。
 それはともかく、軽子はさらに別の美女からおなじ質問を受ける。そこで「橋のめぼうき」と応じたが、女はこれを拒み「莢をむいた胡麻の実」と言う。胡麻の実を知らない方は落花生を思いうかべるとよいでしょう。
 くわえて三番目の女が同様の問いかけをする。男は「橋のめぼうき」「莢をむいた胡麻」を挙げたがいずれもだめでここは「旅人の宿」じゃないのと言うのだった。「旅人の宿」なんとなく風情があっていいですね。こんなふうに女性の性器をどのように表現するかをめぐってやりとりがつづく。
 ついでながら手許にある『アメリカ俗語辞典』(ユージン E.ランディ原編 堀内克明訳編 研究社出版)のvaginaの項には五頁余にわたり千以上の訳語があり、その表現においてわが日本もイスラム世界に負けず劣らずずいぶんと意を用いてきたと知れる。残念ながら旅人の宿はなかったが、旅の縁語とおぼしいのを拾うと愛の泉、華門、花洞、秘丘といった具合。
 もうひとつイスラムの文学は美女をどんなふうに形容しているかを眺めてみよう。前項とおなじ「バグダッドの軽子と三人の女」には以下の記述がある。
 「背のすらりとした、およそ身の丈五尺ばかりの女で、器量といい、愛くるしさといい、ひときわすぐれ、まさしく豊艶と均整と、たとえようもない優雅さの雛形」
 「額は花のように白く、頬はアネモネのように紅に輝き、目は野生の若い牝牛か、羚羊のそれ。眉は第八月(シャーバン)を終わり、第九月(ラマザン)を迎える三日月のようでございました。また、口はといえば、スライマンの指輪にまごうばかりで、唇は珊瑚のように赤く、歯並びは真珠かカミツレの花びらを横にならべたようで、のどもとは羚羊をしのばせ、乳房は同じ大きさのふたつの柘榴に似て、いわば人に歯むかうように、つき出ていました」
 「体は着物の下で、丸めた金襴の錦のように、波をうって起伏し、お臍には一オンスの安息香油もはいりそうでした」
 というふうに美人の形容の総論は豊艶と均整と優雅で、あと各論として額、頬、眉、歯並び、乳房そして最後にお臍がくる。ベリーダンスを浮かべるまでもなく、イスラム世界のセクソロジーにおいてお臍はたいへん重要な位置を占めていると考えられるが、そのいっぽう『千夜一夜物語』はお臍、「旅人の宿」につづく脚線にはまったく触れていない。あるいはこれもイスラムふうなのかもしれない。
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# by yumenonokoriga | 2017-03-21 10:25 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

美女へのまなざし

 先日池袋で用を済ませたあと雑司ヶ谷に廻り鬼子母神と霊園を散歩した。はじめて鬼子母神に参詣したのは市川準監督「東京兄妹」にあるこの界隈の詩情ゆたかな映像に惹かれたのがきっかけだった。一九九五年の作品だからはや二十年余が過ぎ、このかん二00八年には市川監督が五十九歳で歿した。
 霊園で永井荷風の墓参をしたあと園内をあるいているうち竹久夢二の墓地の標識を見かけたので行ってはじめて手を合わせた。文京区弥生と夢二のふるさと岡山にあるふたつの夢二美術館には行ったことがあるが墓地の所在はこの日はじめて知った。
 雑司ヶ谷霊園から池袋に戻り喫茶店で吉川英治『鳴戸秘帖』を読んでいると、阿波にはたくさんの美人がいるが、あの豊麗な、肉感的な、南国色の娘たちとは、これはまた、クッキリと趣をかえた美人、太夫鹿の子の腰帯に、裾を上げて花結びにタラリと垂れ、柳に衣装をかけたようななよやかさといったくだりがあり、夢二の描くスレンダータイプの美人が浮かぶとともに、丸尾長顕氏がよくこの種のことを話題にしていたのを思い出した。
 吉川英治の豊麗な、肉感的な、南国色の娘たちを丸尾流に言えば「やや脂肪質の、極度に曲線的で、ヴォリュウムがあって、性的なエネルギーを発散している多産型の肉体」となる。
 いっぽう太夫鹿の子の腰帯に、裾を上げて花結びにタラリと垂れ、柳に衣装をかけたようななよやかさを丸尾は性的なエネルギーは稀薄で、乳房も小さく、ヒップにもセクシーな魅力はないけれど「見るからに清潔であり、清楚であり、知的な印象を持つ肉体」と表現する。
 そのうえで日劇ミュージックホールの総帥は前者の典型として伊吹まり代とジプシー・ローズを挙げ、後者のそれを小川久美とし、その中間に位置しているのが小浜奈々子と述べている。(『女体美』昭和三十四年、五月書房刊)
 『鳴門秘帖』は江戸時代中期、十八世紀半ばの物語で、奈良時代の吉祥天女のころはいざ知らず、仮に作者の記述が当時の男の「女体美」に向けたまなざしをそれなりに示しているものだとすれば、丸尾が採りあげた昭和三十年代の男たちの視線に通じている。
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# by yumenonokoriga | 2017-03-02 11:53 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

荒木一郎と日劇ミュージックホール(つづき)

 前回紹介した荒木一郎『まわり舞台の上で』にある、荒木の事務所経由で日劇ミュージックホールの舞台に立ったダンサー。答えはジャンボ久世。
『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)に「東京都北区赤羽の生まれ。本名苦瀬静枝。川村中学を経て、1972年、川村高校を卒業。アルバイトでゴーゴー・ガールをしているところを荒木一郎にスカウトされて、芸能界に入る。74年の日活映画『江戸艶笑夜話・蛸と赤貝』でデビュー。しかし大柄な身体が映画界では生かされないと判断して、映画界を去る。赤坂のコルドンブルーの踊り子に転じ、75年3月に“75年の大型新人”という触れ込みで、日劇ミュージックホールの舞台に立つ。そのとき、それまでの本名から93センチのバストにちなんで、ジャンボ久世の芸名をつける」とあり、これが彼女の公式の記録で、『まわり舞台の上で』にあるのが非公式の履歴となる。あるいはタテマエとホンネといったところか。
 93センチのバストも公式記録らしく『the Nichigeki Music Hall』(東宝出版事業室)には「ぼくらの印象では、あれはたしか一メートルは越していた。ウエストは80センチ(?)に近く、ヒップも一メートルオーバーで、だからこそ文字通りの“ジャンボ”だったのである」とあったりする。
ところで『まわり舞台の上で』にはミュージックホールに迎えられた彼女は以後同劇場の終焉までずっと中堅のスターとして踊ったとあるが、たしか失踪事件を起こしてミュージックホール最後の舞台には立っていない。
 ちなみにネットで検索をかけたところ「北脇貴士のブログ」
(http://takashikitawaki.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/429-1c71.html)に昨年四月に催された「ホープ一門ライブ」に彼女が出演したとの記事があり、そのときの写真も掲載されていた。
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# by yumenonokoriga | 2017-01-27 10:29 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)