カテゴリ:日劇ミュージックホールの文学誌( 244 )

資料紹介~新潮45 2017・7月号

 たまたま図書館で手にした雑誌「新潮45」7月号グラビアに日劇ミュージックホールをはじめロック座、新宿セントラル劇場などのパンフレットの画像が掲載されていました。
 また踊り子ではジプシー・ローズ、吾妻京子、伊吹マリ、園はるみ、ハニー・ロイ、桜洋子、春川ますみ、ヒロセ元美、アンナ水原の写真があります。
 題して「時代の標本 松田コレクションの世界 7」~嗚呼、ストリップ時代
 映画演劇史料収集家 松田集氏のコレクションと説明があります。
 多くは昭和二十年代なかばから三十年代前半にかけての「時代のついた」貴重なもの、あの時代を知らなくても昭和のノスタルジーが喚起されます。未見の方、手に取ってみてください。
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by yumenonokoriga | 2017-07-03 10:55 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

『谷口征写真集 THE DANCER 殿岡ハツエ』

 本ブログをご覧くださっているある方から日劇ミュージックホール関係の資料を何点かいただきました。ありがとうございます。感謝に堪えません。
 いずれも貴重なものばかりのなかで、とりわけ標題の写真集は著者名も書名も、つまり本の存在さえ知らなかったものですから、ことのほか意外の感がしました。ミュージックホールのダンサー個人の写真集としてはわたしが知る限りでは唯一のものです。
 書誌については以下のとおりです。
『谷口征写真集 THE DANCER 殿岡ハツエ』
昭和五十年十月十七日第一刷発行
発行所 スタジオ・テン
協賛 旭光学商事株式会社
 三十三葉の写真のモデルは殿岡ハツエひとりだけ。ほかには、冒頭に「“踊りは仕事なんだけど休息でもあるのよ。一人でいる時も踊っているのよ」というモデルのことばと、最後に散文詩のようなカメラマンのあとがきがあります。
 踊り子を撮りつづけたカメラマンとしては稲村隆正を知るだけでしたが本書で谷口征という方を知ったしだいで、同氏は『黒木瞳―17か月のDesigned Woman』『叙情の虚構―永島暎子写真集』『褐色のままでー向井亜紀写真集』といったふうに女優を対象とする作品集を多く刊行されています。
 殿岡ハツエは昭和三十年代後半から五十年代はじめにかけてしばしばミュージックホールにゲスト出演したダンサーで、客演したセミヌードのダンサーとしてはいちばん回数を重ねていると思われます。本書には彼女の踊るよろこびや官能的な姿、またコケティッシュな表情などその多彩な魅力がいっぱい詰まっています。
 なお、本ブログの二つの記事「『いれずみ突撃隊』と『かぶりつき人生』」(2014/12/10)ならびに「プカプカ」(2014/12/15)にもご登場いただいていますので参照していただければさいわいです。
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by yumenonokoriga | 2017-05-16 11:30 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

美女の形容

 ときどき気が向いたときに『千夜一夜物語』を読んでいる。テキストは英語で著されたバートン版で訳者は大場正史。中世のイスラム世界がいきいきと描かれた同書にはいまのイスラム世界のイメージからはほど遠いたくさんの艶笑譚が収められている。
 たとえば同書第九夜「バグダッドの軽子と三人の女」で、たぐいまれな美女が一糸まとわぬ姿で池に飛び込み、ひと泳ぎしたあと上がってきて、自身の「細長い切れめ、つまり裂け口」を指さして、軽子(荷物運搬を業とする人足)に、ここは何というのと問いかける場面がある。
男が「それは玉門といいます」と答えると美女は、そんな言葉を口にして恥ずかしくないのとばかにする。軽子はあれこれ挙げてみたものの女は満足せず、だったら貴女はそこを何と呼ぶのかと逆に質問したところ「橋のめぼうき」との答えが返ってきた。
 日劇ミュージックホールの美女をめぐるコラムの筆者としてはまことに慚愧に堪えないのだがイスラム世界の美女が口にした「橋のめぼうき」がわからない。ちくま文庫の註釈には「めぼうきCcymum basilicumは、ボッカチオ第四日第五話のbassilicoにあたる」とあるが、困ったことにこれでは余計にわからない。博雅の士のご教示をお願いしておきたい。
 念のため『デカメロン』の該当箇所にあたってみたが「橋のめぼうき」に関連のありそうな言葉はなかった。
 それはともかく、軽子はさらに別の美女からおなじ質問を受ける。そこで「橋のめぼうき」と応じたが、女はこれを拒み「莢をむいた胡麻の実」と言う。胡麻の実を知らない方は落花生を思いうかべるとよいでしょう。
 くわえて三番目の女が同様の問いかけをする。男は「橋のめぼうき」「莢をむいた胡麻」を挙げたがいずれもだめでここは「旅人の宿」じゃないのと言うのだった。「旅人の宿」なんとなく風情があっていいですね。こんなふうに女性の性器をどのように表現するかをめぐってやりとりがつづく。
 ついでながら手許にある『アメリカ俗語辞典』(ユージン E.ランディ原編 堀内克明訳編 研究社出版)のvaginaの項には五頁余にわたり千以上の訳語があり、その表現においてわが日本もイスラム世界に負けず劣らずずいぶんと意を用いてきたと知れる。残念ながら旅人の宿はなかったが、旅の縁語とおぼしいのを拾うと愛の泉、華門、花洞、秘丘といった具合。
 もうひとつイスラムの文学は美女をどんなふうに形容しているかを眺めてみよう。前項とおなじ「バグダッドの軽子と三人の女」には以下の記述がある。
 「背のすらりとした、およそ身の丈五尺ばかりの女で、器量といい、愛くるしさといい、ひときわすぐれ、まさしく豊艶と均整と、たとえようもない優雅さの雛形」
 「額は花のように白く、頬はアネモネのように紅に輝き、目は野生の若い牝牛か、羚羊のそれ。眉は第八月(シャーバン)を終わり、第九月(ラマザン)を迎える三日月のようでございました。また、口はといえば、スライマンの指輪にまごうばかりで、唇は珊瑚のように赤く、歯並びは真珠かカミツレの花びらを横にならべたようで、のどもとは羚羊をしのばせ、乳房は同じ大きさのふたつの柘榴に似て、いわば人に歯むかうように、つき出ていました」
 「体は着物の下で、丸めた金襴の錦のように、波をうって起伏し、お臍には一オンスの安息香油もはいりそうでした」
 というふうに美人の形容の総論は豊艶と均整と優雅で、あと各論として額、頬、眉、歯並び、乳房そして最後にお臍がくる。ベリーダンスを浮かべるまでもなく、イスラム世界のセクソロジーにおいてお臍はたいへん重要な位置を占めていると考えられるが、そのいっぽう『千夜一夜物語』はお臍、「旅人の宿」につづく脚線にはまったく触れていない。あるいはこれもイスラムふうなのかもしれない。
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by yumenonokoriga | 2017-03-21 10:25 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

美女へのまなざし

 先日池袋で用を済ませたあと雑司ヶ谷に廻り鬼子母神と霊園を散歩した。はじめて鬼子母神に参詣したのは市川準監督「東京兄妹」にあるこの界隈の詩情ゆたかな映像に惹かれたのがきっかけだった。一九九五年の作品だからはや二十年余が過ぎ、このかん二00八年には市川監督が五十九歳で歿した。
 霊園で永井荷風の墓参をしたあと園内をあるいているうち竹久夢二の墓地の標識を見かけたので行ってはじめて手を合わせた。文京区弥生と夢二のふるさと岡山にあるふたつの夢二美術館には行ったことがあるが墓地の所在はこの日はじめて知った。
 雑司ヶ谷霊園から池袋に戻り喫茶店で吉川英治『鳴戸秘帖』を読んでいると、阿波にはたくさんの美人がいるが、あの豊麗な、肉感的な、南国色の娘たちとは、これはまた、クッキリと趣をかえた美人、太夫鹿の子の腰帯に、裾を上げて花結びにタラリと垂れ、柳に衣装をかけたようななよやかさといったくだりがあり、夢二の描くスレンダータイプの美人が浮かぶとともに、丸尾長顕氏がよくこの種のことを話題にしていたのを思い出した。
 吉川英治の豊麗な、肉感的な、南国色の娘たちを丸尾流に言えば「やや脂肪質の、極度に曲線的で、ヴォリュウムがあって、性的なエネルギーを発散している多産型の肉体」となる。
 いっぽう太夫鹿の子の腰帯に、裾を上げて花結びにタラリと垂れ、柳に衣装をかけたようななよやかさを丸尾は性的なエネルギーは稀薄で、乳房も小さく、ヒップにもセクシーな魅力はないけれど「見るからに清潔であり、清楚であり、知的な印象を持つ肉体」と表現する。
 そのうえで日劇ミュージックホールの総帥は前者の典型として伊吹まり代とジプシー・ローズを挙げ、後者のそれを小川久美とし、その中間に位置しているのが小浜奈々子と述べている。(『女体美』昭和三十四年、五月書房刊)
 『鳴門秘帖』は江戸時代中期、十八世紀半ばの物語で、奈良時代の吉祥天女のころはいざ知らず、仮に作者の記述が当時の男の「女体美」に向けたまなざしをそれなりに示しているものだとすれば、丸尾が採りあげた昭和三十年代の男たちの視線に通じている。
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by yumenonokoriga | 2017-03-02 11:53 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

荒木一郎と日劇ミュージックホール(つづき)

 前回紹介した荒木一郎『まわり舞台の上で』にある、荒木の事務所経由で日劇ミュージックホールの舞台に立ったダンサー。答えはジャンボ久世。
『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)に「東京都北区赤羽の生まれ。本名苦瀬静枝。川村中学を経て、1972年、川村高校を卒業。アルバイトでゴーゴー・ガールをしているところを荒木一郎にスカウトされて、芸能界に入る。74年の日活映画『江戸艶笑夜話・蛸と赤貝』でデビュー。しかし大柄な身体が映画界では生かされないと判断して、映画界を去る。赤坂のコルドンブルーの踊り子に転じ、75年3月に“75年の大型新人”という触れ込みで、日劇ミュージックホールの舞台に立つ。そのとき、それまでの本名から93センチのバストにちなんで、ジャンボ久世の芸名をつける」とあり、これが彼女の公式の記録で、『まわり舞台の上で』にあるのが非公式の履歴となる。あるいはタテマエとホンネといったところか。
 93センチのバストも公式記録らしく『the Nichigeki Music Hall』(東宝出版事業室)には「ぼくらの印象では、あれはたしか一メートルは越していた。ウエストは80センチ(?)に近く、ヒップも一メートルオーバーで、だからこそ文字通りの“ジャンボ”だったのである」とあったりする。
ところで『まわり舞台の上で』にはミュージックホールに迎えられた彼女は以後同劇場の終焉までずっと中堅のスターとして踊ったとあるが、たしか失踪事件を起こしてミュージックホール最後の舞台には立っていない。
 ちなみにネットで検索をかけたところ「北脇貴士のブログ」
(http://takashikitawaki.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/429-1c71.html)に昨年四月に催された「ホープ一門ライブ」に彼女が出演したとの記事があり、そのときの写真も掲載されていた。
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by yumenonokoriga | 2017-01-27 10:29 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

荒木一郎と日劇ミュージックホール

 役者、歌手、作詞作曲家、プロデューサー、芸能プロダクション経営者、小説家とジャンルを超え多岐にわたって活動を続けてきた荒木一郎が昨年十月に刊行した『まわり舞台の上で』(文遊社)を読んだ。一九四四年生まれの奇才がその人生の軌跡と活動の集積を存分に語った作品である。
タフとやんちゃを併せ持つ人の語り口は痛快で、ときに娯楽読み物に目を遣っている気になる。たとえば桃井かおりが初めてのLP「ONE」(一九七七年十月)をフィリップスからリリースする直前の光景。
 フィリップスの社長がプロデューサーの荒木に無断で歌謡曲のアルバムみたいなジャケットをつくる。それを知った荒木は「なんだよ、社長呼べ」と言い放つ。
 制作の部屋に来た社長に荒木は「なんでお前がやるんだよ。桃井かおりをお前がやれるのか。お前がやれるんならお前がやれ。どれだけの思いをしてこっちがやってると思ってんだ」と啖呵を切りジャケットを社長に向けてぶん投げる。
 「いやいや・・・」と専務が間に入る。
 荒木「いやいやじゃないよ」「社長がやるんだったら俺は引くから、かおりと契約してるんだから勝手にやりゃいいよ。俺にやらせるんだったら、俺の言う通りやれよ」
 社長「やっていただきたい・・・」
 荒木「やっていただきたいじゃなくて、まず、やったことに対して謝れ。謝ってから言えよ」といった具合。
 とうぜん歯に衣着せない批評が随所にある。
 「こないだ、村上春樹がチャンドラーを訳したのを買ってきてみたときに、もうひどくて。やっぱり全然、何にも分かってないなと・・・・・・ハードボイルドが見えないっていうか、全然違うところにいるんだなぁと思った。やっぱり日本人のオタク的な人なんだろうなぁと思う」。
その根拠として荒木は、村上春樹の頭のなかにチャンドラーが書くマーロウみたいな探偵が存在してないのではないか、ただ憧れはあって、その憧れだけで書いた(訳した)のではと語る。
 わたしはレイモンド・チャンドラーのファンと自認しているけれど、村上訳チャンドラーの評価を云々する力はない。ただノーベル文学賞候補ととりざたされる作家を神格化することなく、明快で率直に論ずる姿勢には好感を持った。これなしに言論の世界の充実はありえない。

 ところで荒木は現代企画というプロダクションを経営していて、一九七0年代、池玲子、杉本美樹、芹名香ら東映、日活のポルノ女優の多くが所属していた。ここにマネージメントを担当していた荒木のいとこのおばさんがいて、ある女優を見つけてきた。ところがこれが箸にも棒にもかからない。やたらにでかいオッパイだけで日活に連れて行っても相手にされず通行人みたいな役しかつかない。
 でもすごく一生懸命やってるからなんとかしてあげたいと荒木は一考した結果、彼女はレストランシアター、コルドンブルーの舞台でハダカになることになった。やがてダンスを覚えた彼女は「いつか、日劇ミュージックホールに出たい」と口にした。荒木はそんな夢があるんだったら叶えてやりたいと思う。
 「どうやって日劇ミュージックホールにつなぐか、考えた。それで、日活に話して、日劇にコネを持ってるのがいるかって聞いたら、日劇を仕切っているのが、同じ名前の荒木っていう人だと言う。同じ名前だから、向こうも意識してるんじゃないかって思って、日活の紹介もあったけど、とにかく当たってみたんだ」。
 ミュージックホールの荒木尚志プロデューサーがどれくらいおなじ姓の荒木一郎を意識していたかどうかはわからないが、ともかく二人の荒木の会見は実現し、当の彼女はミュージックホールに迎えられ、以後同劇場の終焉までずっと中堅のスターとして踊った。
 『まわり舞台の上で』にある荒木一郎がミュージックホールと関係した箇所だが、困ったことにコルドンブルーを経てミュージックホールの舞台に立った彼女の名前がしるされていない。他のブログであればともかくここではそのままにはしておけない。そこで勇躍、研究に取り組んだわけですが、意外と簡単にわかりました。答えは次回で。
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by yumenonokoriga | 2017-01-12 10:18 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

関根庸子という名前

 本ブログ二0一三年一月五日の「『欲望の迷宮』における関根庸子」という記事についてご本人の関根庸子さん(いまは森泉笙子として文筆と絵画の活動をされています)からおたよりをいただきました。
 はじめに該当の記事を再録します。

 橋本克彦『欲望の迷宮』というルポルタージュがある。手許にあるのは一九九二年十月刊の講談社文庫版。これには「新宿歌舞伎町」という副題が附いていて、正題と副題を合わせると歌舞伎町という迷宮に展開する欲望のドラマであると知れる。本書第六章「文学バーの夜ごとの宴」は著者による関根庸子へのインタビューをもとにした内容となっている。
 バー、カヌーの開店は一九五九年(昭和三十四年)、閉店は六五年(昭和四十年)、開店時、若きマダム関根庸子は二十六歳だった。カヌーを経営する前は日劇ミュージックホールのトップダンサーとあるが、これは過剰なリップサービスだろう。『theNichigeki Music Hall』の公演リストにその名前はないから、中堅スターといったところではなかったか。
 その前は朱里みさをが率いる旅の舞踊団の座員だった。敗戦後の混乱のなか家計は貧しく、自分が一家を養わなければという思いが募ったはての選択だった。ちなみに朱里みさをは七十年代はじめ「北国行きで」で大ヒットした歌手の朱里エイコの母親である。関根庸子はこの舞踊団を振り出しにやがて日劇ダンシングチームに入団、ここで十人ほどの特別チーム「ビューティーズ」が編成され、メンバーの一人としてミュージックホールへ出演した。ここまでは松永てるほのばあいと似ている。
 ライトを浴びた踊り子が週刊誌「女性自身」に連載したのが『私は宿命に唾をかけたい』だった。著者は「あれは、当時、王さまのようにミュージックホールに君臨していた丸尾長顕さんがプロデュースしてくださったんですね。その印税がカヌーの開店資金になった、というわけなんです」と語っている。
 多くの男がカヌーのマダムに言い寄った。そのなかには紀伊國屋社長田辺茂一もいる。野坂昭如もいる。けれど野坂が誘いをかけてきたときには彼女は密かに結婚し、妊娠もしていた。こうしたなか彼女が頼りとし、相談相手となってもらったのが埴谷雄高で、埴谷自身「バー時代、しばしば、私は彼女の同行者であるが、バーをやめたあとも、男の子と女の子の教育、夫君の店の拡張、父と母の入院、そしてまた、彼女の執筆に及ぶすべての相談役をつづけ」たと書いている。
 『欲望の迷宮』のインタビューがなされた時点で関根庸子は二人の大学生の母親、インタビューには埴谷雄高も顔を見せている。
 ちなみに関根庸子は本名っぽい名前だが芸名との由。

 コメントを寄せてくださっているのは「ちなみに関根庸子は本名っぽい名前だが芸名との由」の部分で、以下お許しを得て私信の一部を紹介しますと「実際は関根は本名で、名前の庸子は私の母が当時、姓名判断に凝っていて付けた名前でした」とあります。つまり戸籍の名前とは別に庸子は本名扱いとなるわけで関根庸子は本名っぽい芸名ではなく本名としてよかったという次第です。
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 クリスマスイヴの日に森泉さんとお会いした際、所蔵されているミュージックホールのパンフレットに載る関根庸子の写真を撮らせていただきました。
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by yumenonokoriga | 2016-12-26 09:32 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

記念公演

 日劇ミュージックホールは昭和二十七年三月十七日「東京のイヴ」で開場した。それから十年経った昭和三十七年三月一日に開幕した舞台は「そっと乳房は夢を見る」と名付けられていたが、これには十周年記念公演の冠はない。
 記録によるとさいしょに周年記念公演とされたのは昭和四十七年一・二月の「開場20周年記念 すべて乳房からはじまる」で小浜奈々子、松永てるほ、朱雀さぎり、舞悦子、浅茅けいこ、岬マコといった当時の、またのちにトップスターとなったダンサーが集った絢爛とした舞台だった。
それから五年のちの昭和五十二年一・二月の「開場25周年記念」公演は「’77乳房の祭典」で、おそらく開場二十周年の「乳房」が意識されている。
 そして昭和五十七年は「日劇ミュージックホール開場三十周年記念特別公演 ’82エロティカル序曲」(蜷川幸雄演出)で幕を開けたが、このときは有楽町の日劇ではなく東京宝塚劇場に移転していた。残念ながら開場三十五周年を迎えることなく昭和五十九年ミュージックホールは閉場した。
 「すべて乳房からはじまる」と「’77乳房の祭典」のパンフレットには演劇評論家橋本与志夫が「観客席からの二十年!」と「25年・ひとむかし」を寄せ、なかで思い出の歌手として高英男、丸山明宏、深緑夏代、宝とも子、橘薫、黒田美治、柳沢真一、ペギー葉山、淡谷のり子、雪村いづみ、水森亜土の名を挙げている。本ブログでは歌手を採りあげたことが殆どないので、ささやかな記念と思い出に歌手名をしるしておいた。
 もうひとつ「’77乳房の祭典」には紀伊國屋書店の創業者で粋人文化人として知られた田辺茂一が「25周年を祝って」という一文を寄せていて広瀬元美や伊吹マリ、桜洋子たちの思い出とともに「江戸川乱歩さんが元気だった頃、私はよく先生と一緒に、日劇ミュージックの楽屋を訪れた」と書いていて乱歩とミュージックホールのつながりがあったことが知れる。
 江戸川乱歩がこの劇場について書いたエッセイがあれば読んでみたいな。ご存知の方いらっしゃれば教えてください。
(写真はトニー谷と田口久美。「’77乳房の祭典」のパンフレットより。)
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by yumenonokoriga | 2016-12-07 10:29 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

山本晋也と日劇ミュージックホール

 昭和四十九年(一九七四年)五・六月公演「裸舞裸舞ふあんたじい」で日劇ミュージックホールは日活ロマンポルノのひろみ麻耶を起用して評判を呼んだ。この年の二月、彼女は「実録・ジプシー・ローズ」でデビューしていて、ジプシー・ローズとの縁つながりでの起用だった。
この評判を承けて荒木尚志プロデューサーが推進したのが日活ロマンポルノとの提携で、同年末の「ブラボーエロスの祭典」での大山節子を手はじめとして田中真理、田口久美、谷ナオミ、八並映子、松田瑛子、小川亜佐美、山口美也子、志摩いづみといったロマンポルノ女優陣がつぎつぎと舞台に登場した。なかで大山節子は舞台に立ったのを機に映画をやめてミュージックホールの専属となった。
 日活との提携は女優陣にとどまらず演出にも及んでいてロマンポルノの監督がミュージックホールの一部の景を演出するようになった。そのなかのひとりに山本晋也監督がいる。
 昭和五十四年一・二月公演「’79愛とエロスのファンタジア」の第二部第六景「ぽこちん共和国」は山本の演出、黒鉄ヒロシの原作脚本、ロマンポルノから原悦子が出演した。
 前年には同監督、原悦子主演の「ポルノ・チャンチャカチャン」が公開されていて赤塚不二夫がポスターを担当している。山本晋也が狙っていたものがマンガと濃い関係にあるのがうかがわれる。
 「’79愛とエロスのファンタジア」のパンフレットに「ミュージックホール初演出の弁」を寄せていて、それによると昭和十四年生まれの「カントク」が終戦直後、小学一年生のとき伯母さんに連れられて日劇で観たのが「鐘の鳴る丘」で、大劇場ではなく日劇小劇場での芝居だった。その後「広瀬元美さんやジプシー・ローズねえさんたちの活躍を“奇譚クラブ”という本で知り、おねえさんたちは私のオナペットになりました」、そしていま「その人たち、いわば日本のポルノのあけぼのを創ったおねえさんたちの流した、一しずくの汗を、舞台に感じながら、稽古にはげんでいるのは感無量です」と真情を述べている。かつてのオナペットたちが立った舞台を演出した出世譚である。
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by yumenonokoriga | 2016-11-07 12:01 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

台本

 ある方のご厚意で日劇ミュージックホール昭和五十四年十一・十二月公演「愛を唄う乳房の舞」の台本を見せていただいた。台本は劇場があったころでも関係者以外の目に触れることはめったになく、いまは超レアものである。
 本公演のゲストは山口美也子、三原玲奈、東郷あんり、ヌードでは朱雀さぎりがトップで、岬マコ、水原まゆみ、明日香ミチ、朝比奈れい花と続いている。
 なかは全七十五頁ガリ版印刷で、念のため日本語ワードプロセッサについて調べてみると、東芝がワープロ史上画期的とされるJW-10を発表したのが昭和五十二年(一九七七年)、価格は六百三十万円とあったから本公演のころはまだワープロが普及するまえの時代だった。
 余談ながら谷沢永一『紙つぶて』に「安部公房が昭和二十五年に出した『魔法のチョーク』はザラ紙に謄写版刷り、タテ十七糎、ヨコ十二糎、全部でたった二十九頁、パンフレットの切れはしのような本だ」「開高健が昭和二十六年、二十歳のとき、孔版私家版としてごくわずかに友人間に配った長篇処女作『あかでみあ めらんこりあ』」といった記述があるように日本文学史上、ガリ版印刷はあだやおろそかに出来ない。芸能史においても同様で、台本を眺めながらそんなことを思った。
具体の見本として第二部の「白と黒のレディたち」を挙げておこう。

〈M-君の瞳に恋してる
オーバチュアあって、ウインドウひき取る。白格子越しに、白と黒のドレスの女たちがみえる。
白組朱雀さぎりを中心に上手側、黒組、岬マコを中心に、下手側、唄手(東郷あんり)
白組がセリで踊る時、黒組が舞台でポーズしたり、その反対もあり、最後、それぞれ対になっているという、色の対照をおもしろくみせたい。
衣装は、シックでエレガントなドレス、手には、小さな扇子を持っている。
装置は、大黒バックに、ガーデン風白吹き抜け(パイプ)〉

 といった具合で絵コンテもなく、ここから板の上(舞台)の状景を思い浮かべるのはむつかしいけれど、こうした骨格に花を、実をつけて素敵な舞台に仕上げたスタッフ、出演者のいとなみは舞台に接したことのない方にもご想像いただけるような気がする。
(管理画面が新しくなったので使ってみたが、斜体文字の修正がうまくゆかなかったので旧管理画面を使うと、今度は写真の回転の方法がわからない。不体裁だが斜体文字よりマシなのでこちらでアップしました。)
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by yumenonokoriga | 2016-10-01 10:39 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)