映画「如何なる星の下に」

a0248606_9325447.jpg いつだったか「女心は一筋に」という東宝映画を見ていたら池部良や岡田茉利子、久慈あさみなどとともにトニー谷が出演していて、そろばん片手に歌っているうちにバックに日劇ダンシングチームが登場し、ラインダンスがはじまった。
 その景を終えて楽屋へ引っ込んだトニー谷は誰かに電話をかけて、いま上と下のかけもちだからとても忙しいと口にする。下が日劇の大劇場、上がミュージックホールだからもしかして「上の劇場」も映らないかしらと思ったとたんカメラはそこに出演するトニー谷をとらえて、わずかな時間ながらミュージックホールがスクリーンに映し出された。
 高見順「如何なる星の下に」は戦前の浅草を舞台とする風俗小説の名作だが、これを豊田四郎監督は昭和三十年代なかばの銀座、佃島界隈に置き換えて映画化した。この措置に原作者はとまどったそうだけれど、いま観ると古風な心情をいだく登場人物たちの人間模様とともに佃神社附近の風景やいまはない堀割がなつかしい。
 原作で浅草のレビュー劇団に所属する小柳雅子は、大空真弓が扮した映画では東宝作品らしく日劇ダンシングチームの一員で、ここでは「下の劇場」の楽屋が撮影されている。
 そのうち雅子はダンシングチームを退団し、香港でショービジネスに従事するといって、男といっしょに日本を発つのだが、反対する家族にはそのわけを「舞台で踊りながら、いつかはワンサではなく前列に出られる幹部になろうと努力をしてきたわ。でもよく見ていたら舞台前列に進み出てもたいしたことはないの。ワンサと変わりないといってよいくらい。もっと大きな舞台で活躍しなくちゃだめ。このあいだなんかむかしスターだった人がバタ屋になって楽屋をまわっていたんだから」と語る。
 人権問題としてのバタ屋さんへの蔑みのまなざしはいま措いておこう。八住利雄の脚本のこの箇所はヘレン滝の話が基になっている。ヘレン滝はストリップ時代初期のスターで「上の劇場」に出演したこともあったが、のちに廃品回収業を細々とやり、やがて見守る者もないままにこの世を去ったという。
 映画「如何なる星の下に」の大空真弓のせりふは「上の劇場」にまつわる哀話だったのである。
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by yumenonokoriga | 2012-08-30 09:35 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

ヌードとストリップ

a0248606_1055557.jpg ヌードとストリップ、傍目にはそれほど目くじら立ててあれこれ論ずるほどの問題ではないけれど、ハダカで飯を喰うとなるとそうはまいらない。
 戦後のストリップ全盛時代を演出したひとりで、浅草の空気座、フランス座、ロック座と幅広く活躍し、一九七四年(昭和四十九年)に他界した深井俊彦は中谷陽編『ストリップ昭和史』に収めるその遺稿「ストリッパーとヌードダンサー」で次のように述べている。
〈ヌードダンサーのほうが、ストリッパーより格が上のように見られて、そこからストリップは昔日の面影を残さなくなってしまった。ヌードダンサーと云われるより、ストリッパーと呼ばれるほうが、私には本当に「芸」のある踊り子に思えるのだが・・・・・・。〉
 深井俊彦が死ぬまでこの問題にこだわっていたのは感動的ですらある。
 現在の感覚からすればストリップとヌードの語感はどうなるのだろう。小林信彦氏が両者の差はアダルトビデオと裏ビデオの差だと思えばよいといっていたが、この場合のヌードはオールヌードのことである。
 日劇ミュージックホールの作戦はパリのリドやムーランルージュのショーを日本に移そうとするものだった。それは深井俊彦の言葉を借りると「胸のあたりは最初から露出している。豪華な衣装を纏っているが、それは脱ぐ為のものではなく、マヌカン的な役目を果す為のもの」だった。
 これに対してミュージックホール初期のスターであるヒロセ元美は「私はストリップ・ティーザーよ!」と反論していたのであったがやがてミュージックホール入りしてしまう。
 もっとも彼女の在籍期間は短期間に終わっている。演出家の岡田恵吉が語るところによると、ヒロセは男運に恵まれず、メリー松原には矢野英二という振付師が、ジプシーローズには正邦乙彦というマネージャーがそれぞれ付いていたのに対し、彼女にはそうした頼りになる男がいなかった。おまけに惚れっぽくて、セックスのテクニックにもたいへんな自信を持つ自惚れ屋だったから、楽屋内で男をめぐるトラブルもあった。
 ひょっとすると早くにミュージックホールを去ったのは楽屋内のことばかりでなくこのヌードとストリップの問題にこだわりを覚えていたのかもしれない。
 
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by yumenonokoriga | 2012-08-25 09:09 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

坂口安吾のヒロセ元美讃

a0248606_9521318.jpg 終戦直後に発表した『堕落論』などで時代の寵児となった坂口安吾は小説、評論とともに戦後の風俗模様をしるしたルポルタージュを残しており、そのひとつに『安吾巷談』がある。なかに「ストリップ罵倒」という章があって、これは安吾先生が日劇小劇場、新宿セントラル、浅草小劇場を見て廻ったときの印象記だが、「罵倒」のなかにありながらヒロセ元美がお褒めのことばを頂戴している。
〈歌舞伎の名女形(おやま)といわれる人の色ッぽさは彼らが舞台で女になっているからだ。ところが、ホンモノの女優は、自分が女であるから舞台で女になることを忘れがちである。だから楽屋では色ッぽい女であるが、舞台では死んだ石の女でしかないようなのがタクサンいる。ストリップとても同じことで、舞台で停止した裸体の美はない。裸体の色気というものは芸の力によって表現される世界で、今のストリップは芸を忘れた裸体の見世物、グロと因果物の領域に甚しく通じやすい退屈な見世物である。
 いくらかでも踊りがうまいと、裸体もひきたつ。私が見た中ではヒロセ元美が踊りがよいので目立った。顔は美しくないが、色気はそういうものとは別である。裸体もそう美しくはないのだが、一番色ッぽさがこもっているのは芸の力だ。〉
 初出は一九五0年八月一日発行の「文藝春秋」で、このころがヒロセ元美の人気絶頂期だった。この年の五月から十月にかけて彼女の出演した「青春のデカメロン」「裸の天使」「わたしは女性No.1」「ストリップ東京」の四本の映画が公開されている。配給元も新東宝、東京映画、松竹に及んでいるところを見ても人気のほどがわかる。いずれもフィルムが残されているかどうかは不明だが、あるとすれば貴重な資料となろう。
 日劇ミュージックホールを去ったあとのヒロセ元美は病気、肥満などに悩み、苦労し、流転を重ねたが、のちには後輩の育成に力を注いでいたようで、一九七五年に刊行された橋本与志夫『おお!ストリップ』には彼女について「年増太りというのかめっきりと肥えて、いまもなお若い後輩たちを育てたりして、この道と関係のある仕事を続けている」との記述がある。
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by yumenonokoriga | 2012-08-20 09:55 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(4)

流転のヒロセ元美

a0248606_9311191.jpg 日劇ミュージックホール開場当時の三大スター伊吹マリ、メリー松原、ヒロセ元美のうち、一年もしないうちに去ったヒロセ元美のその後の足跡はしあわせなものではなかった。丸尾長顕はその著『女体美』で彼女の消息を次のように伝えている。
〈元美は転落の一途を辿った。誰も相手にしてくれなかった。自殺を図ったが、未遂に終った。そのうち九州で全ストをやっていたという噂が伝わってきた。悪質な興行師に騙されて一文なしにされたとも風の便りに耳に入った。が、最近、名古屋から、「元気で働いています。大当りです」というハガキが五年振りで舞い込んできた。時にはセンコウ花火のようにぱっと当ることもあるのだろう。〉
 おなじくミュージックホールの演出家岡田恵吉によれば、ミュージックホールを去ってからのヒロセは患って病後ひどく肥満して、それが致命傷となったという。九州へ行って一旗上げようとして岡田も相談に乗ったがうまくゆかなかった。昭和三十年代のはじめには児童劇に凝ったこともあったとか。岡田は「どうした風の吹き廻しで、天下のストリッパーと、子供の芝居とゆう組合せになつたか判らないが、全盛時の彼女をよく知り、彼女の技術をおしむ僕にとつて、彼女の近況には哀れ深いものがある」と述べている。
 一九六四年に刊行された丸尾長顕編『日劇ミュージック・ホールのすべて』にもヒロセ元美の消息が載っている。
〈その後のヒロセ元美の人生は、みんなの予期に反して、悲劇的だったらしく、現在でも地方巡業を続けているといううわさもある。〉
 こうしてヒロセ元美の名はこの世界からいつしか消えてしまった。ところが彼女の名前が突如ミュージックホールのパンフレットに復活するのである。一九七二年(昭和四十七年)末からのミュージックホール開場二十周年公演「すべて乳房からはじまる」のパンフレット、この公演第十二景ザ・ストリップティーズ・イン・ミュージックホールで彼女は振付を担当しており、さらに七三年八月末からの東宝創立四十周年記念公演「ニッポンエロチカ・ワールド」でもふたつの景に振付として名を出している。
 ひょっとするとこれらの公演以外にも振付の仕事をしているのかもしれないが手許にあるパンフレットは限られているのでこれ以上のことは不明で、そのあと彼女が劇場とどのような関係にあったかもわからない。
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by yumenonokoriga | 2012-08-17 06:15 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

ヒロセ元美

a0248606_9272113.jpg 日劇ミュージックホール開場当時のスターだったヒロセ元美は上海生まれの上海育ち、小さいころからロシア人やスペイン人に踊りを習い、ショウビジネスもずいぶん見てきたという。あちらでも踊っていたという噂もあったそうだが一九五0年(昭和二十五年)八月特別号「オール讀物」に載った永井荷風とヒロセをはじめ数人のストリッパーとの座談「荷風先生とストリップ」では見ていただけで踊ってはいないと語っている。
 この座談会でヒロセは「生意気なことをいうようですが、ただ裸を見せるだけの踊りなら、たんなるリベラルダンスにすぎません。ストリップティーズは、どこまでも女性の裸の柔らかい雰囲気を清潔に表現することだと思います」と語っている。
 まだストリップという用語を広言するのがはばかられる雰囲気のあるころで、当時のカストリ雑誌の名前を借りてストリップは「リベラルショー」と呼ばれたりしていた。ストリッパーも「リベちゃん」なる愛称があった。わたしはそんじょそこらのリベちゃんじゃないわよ、れっきとしたストリッパーなんだからとヒロセ元美は訴えているわけで、彼女の矜恃のほどが窺われる発言である。
 橋本与志夫『ヌードさん』によれば、ストリップティーズつまり焦らしながら一枚一枚と衣装を脱いでゆく技術を日本に紹介したのはヒロセ元美であったというから彼女の本邦裸舞史上に果たした功績はまことに大きいと言わなければならない。彼女が得意としたのはファンダンスといわれるもので、大きな羽根扇を両手に持って魅惑的な白い肉体をふたつの扇を巧みに用いて見せるがごとく、見せぬがごとくの舞台は大きな魅力であったと伝えられる。
 ミュージックホールの運営委員だった岡田恵吉は『女のシリ・シンフォニー』でヒロセを「日本では最高のストリップ・テイザーだった」と評価している。以下は岡田恵吉が語る彼女の艶姿である。
〈五尺四寸近い大女で、若い頃の彼女の胸から胸、脚へかけての線とボリューム、そのチラツカセの巧さは、けだし絶品だつた。僕に楽屋で見せたフアン・ダンスの技術は大変な修練をへた、精進の結果到達出来た種類のもので、毛深い彼女がその股の黒点をチラリとも見せず廻転し、尻の割目をのぞかせず、その扇の位置の正確さと愛嬌はけだしストリップ・ティーズそのものの魅力だつたと云へる〉。
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by yumenonokoriga | 2012-08-10 09:30 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

伊吹マリ、メリー松原、ヒロセ元美

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 一九五二年(昭和二十七年)日劇ミュージックホール開場当時の三大スターは伊吹マリ、メリー松原、ヒロセ元美だった。はじめ丸尾長顕が白羽の矢を立てていたのは、伊吹マリ、ヒロセ元美それにパール浜田だった。
 ところがパール浜田には帰国中のアメリカ兵の愛人がいて、彼女が舞台に立つことを許さなかった。丸尾はこの米兵の態度をまやかしと見て何度も彼女に舞台に立つことを勧めたが承諾は得られなかった。しかし、そのうち日本に帰ってくるという恋人はもどらず、彼女は棄てられたと悟らなければならなかった。その失意のありさまははた目にも哀れだったという。そのパール浜田の代役がメリー松原だった。
 三人はすでに斯界の大姉御格で、丸尾による大引き抜き作戦によっておなじ舞台を踏むこととなったのである。ただし三国志を思い浮かべるまでもなく三巨頭は並び立ちにくいのはここでも同様で伊吹マリは親分肌で、メリー松原は伊吹に心服していたから問題はなかったが、ヒロセ元美はそうはゆかなかった。彼女にしてみれば自分のほうが先輩だし、踊りのテクニックも自信があったので伊吹の風下に立つのは耐えられなかった。この感情のもつれにくわえ男出入りのトラブルが重なる。
 ヒロセ元美の男関係は相当に派手で、そうこうするうちに男性ダンサーをはさんで伊吹との争いが勃発した。事情は、男性ダンサーに惚れ込んだヒロセがラブレターを送って愛を告白したはよかったが、その手紙たるや丸尾長顕によると、昭和恋文史でも書くことがあれば第一に採り上げたい珍品で、自分の肉体の構造がいかに男性を悦ばせるようになっているかを説いて彼の愛を求めていたのだそうだ。ところが男はこの据え膳に手を出さなかった。そればかりでなく、この件を伊吹に相談したものだから話は劇場中に広まり、おまけに彼と伊吹が恋仲になってしまう。
 伊吹マリ、メリー松原、ヒロセ元美はミュージックホール開場にあたり、これまでのストリップではなく「私たちは新らしいヌード芸術に邁進し、これを高い芸術にまでエレベートしたい希望に燃えています」とヌード宣言を発していたが、ヒロセはこれを撤回してストリップ復帰を表明し一年ほどで劇場を去ってしまった。
(写真左から伊吹まり、竹野美子、メリー松原、『日劇ミュージック・ホールのすべて』より)
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by yumenonokoriga | 2012-08-05 06:13 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)