湯浅喜久治

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 安藤鶴夫『寄席紳士録』に昭和三十年代はじめに東横ホールで催されたある日の東横寄席の模様が語られている。「実ァすねえ」が口癖だったプロデューサーの湯浅喜久治はこのとき落語はさておいてミュージックホールすなわち西洋の寄席ふうの企画を試みている。その舞台を覗いてみると・・・・・・。
 まずはホールのいちばんうしろから突然木遣りの声が起こる。若い者がまといを勢いよく振り、赤筋の半纏を着た江戸消防記念会の頭たちがうたいながら客席から舞台へ上がる。幕明きは宮城道雄の箏曲の合奏団がずらり三十人。つぎがペギー・葉山。それから吾妻徳穂の舞踊、志寿太夫の清元とつづく。
 後半のはじまりはダーク・ダックスの世界の歌メドレー、つぎに丹下キヨ子と橘薫の新型漫才、そのあとが越路吹雪のシャンソンで、伴奏はピアノの松井八郎。つづいて徳川夢声が西洋辻講釈と題して往年小説と映画で人気を博したフランスの怪人、ジゴマの一席をうかがい、フィナーレは渡辺晋とシックスジョーズの演奏でSKD(松竹歌劇団)のエイト・ピーチェスの美女が舞った。
 昭和三十年代はじめの渋さと絢爛さが込められたこの日の入場料は五百円。木村荘八が担当したプログラムは百円かかったのが五十円で販売されていたという。
 この湯浅喜久治プロデュースの舞台はよほど強い印象を残したようで矢野誠一も日劇ミュージックホールのパンフレット掲載の「期待」という一文で思い出を語っている。くわえて演劇評論家はこの企画は「わが国にも西洋流ボードビルが定着し得ることを証明してくれた点できわめて有意義な催しだったし、ぼくが日劇ミュージックホールに望むのは、じつはこうした雑然さにほかならない」と書いている。こうして矢野誠一は客の要求からヌード中心のショーのスタイルとなったがミュージックホールが多様な芸人と芸を大胆に取りあげて舞台に掛けた点を高く評価している。
 もしいまにミュージックホールが存続していれば素敵なダンサーとわが国の、また世界各国からやって来たイキのよい、あるいはいぶし銀を思わせる芸人たちが舞台を支えているにちがいない。それは湯浅喜久治がめざしたものにほかならない。
 残念ながらこの天才プロデューサーは昭和三十四年(一九五九年)三十になるやならずの若さで自裁した。
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by yumenonokoriga | 2013-11-30 11:13 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

虫明亜呂無

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 作家で映画、スポーツ、競馬などに詳しい評論家だった虫明亜呂無に「西から東から クラシック・ロードをゆく」というエッセイがある。雑誌「優駿」一九六七年(昭和四十二年)六月号に掲載されている。この年の天皇賞や桜花賞などによせて書かれた作品だ。
 このなかで虫明は、馬場に出てきたスイートフラッグという牝馬のちょっとギャラリーに目をやり、さも「なんでもないわ」といったように首を二、三度たてに振る表情をとらえており、その眼に、この馬は、いかにも、遠くの風景を見て、なにかに安心をえたようにあるいていると映った。それは「なんとなく、舞台の踊り子が踊りながら、ふと、観客席の反能をみて落つきをとりもどし、自分の踊りのペースにきちんと乗ってゆくしぐさ」「大好きな上月晃や、松永てるほの舞台」を思わせるものだった。
 さらにこの牝馬の体つきについても宝塚と日劇ミュージックホールのトップスターに繋げている。
 〈細く、鋭いことが、そのまま、肉のゆたかさの別の象徴のようであった。女らしいでれっとしたところがなかった。たぶん、そんなことが、なんの前ぶれもなしに、私に上月晃を想わせたのかもしれなかった。それからまた、舞台の下からみあげると豊満そのもののようにみえていながら、ごくちかよってみると、頬の線などが鋭利な刃物で削ったように直線的に走っている松永てるほを思わせたようであった。〉
 競馬に無縁な本コラムの筆者は、牝馬の姿から宝塚や日劇ミュージックホールのスターが思い浮かぶ虫明の発想と思考の回路にほほうと思うばかり。
 色川武大は競輪の選手を追って開催地から開催地へと旅するほどの本格派で、あの面白さを知るとあとは麻薬か変態性欲しかないんじゃないかなと語っていた。競馬に美女の姿を見、競輪に変態性欲一歩手前の歓楽を感じていた二人の作家の姿はいずれにも無縁だった当方をいささか後悔の気持にさせる。
 記憶に誤りがなければ虫明は松永てるほを讃える詩を書いていた。何で読んだのかさえ思い出せないが、たしか、美しい五月、その夜空には松永てるほが似合う、といった一節があったような気がする。できたら本欄に書きとめておきたい。どなたかご存知であればご一報ください。よろしくお願いします。
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by yumenonokoriga | 2013-11-25 10:48 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

はじめて買ったパンフレット

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 昭和四十七年(一九七二年)の一、二月公演「すべて乳房からはじまる」の舞台に魅せられて、以後せっせと日劇ミュージックホールへと通うようになった。はじめてパンフレットを買ったのもこのときで、四十年以上経ったいまもそれは筐底深く秘してある。家族の眼がありますからね。それにしょっちゅう取り出して眺めていては過度に「あやしうこそものぐるほし」となってしまいます。
 ダンサーたちのうち小浜奈々子、松永てるほ、朱雀さぎり、高見緋紗子はカラー写真だが、のちのトップスターたち岬マコ、舞悦子、浅茅けい子はまだ中堅どころだったからここではモノクロ組である。
 開場二十周年記念公演らしくパンフレットには丸尾長顕が回想と謝辞をまじえたエッセイを執筆している。謝意を捧げられた人たちを摘録してみると、まず文壇では「谷崎潤一郎、村松梢風両先生」を別格に「舟橋聖一、吉行淳之介、遠藤周作、近藤啓太郎、戸川幸雄、梶山季之その他諸先生」がいる。三島由紀夫も見えていて、脚本を書いて下さった「三島先生」から「なんだ、これっぽっちのお礼」かと叱られたこともいまとなれば忘れがたい一コマであるとある。この時点で自衛隊市ヶ谷駐屯地での割腹から二年が経っている。
 他方、画壇では「東郷青児、伊東深水、南政善諸先生等々」、漫画界では「小島功、杉浦幸雄、久里洋二、加藤芳郎の諸先生」の名前が見えている。
 また草創期の回想として、「丸尾君、派手に赤字を出してくれるなァ」と寺本副社長から皮肉をいわれ返す言葉もなかったとき、小林一三が「一年間は黙って見てやるものだ」と助け舟を出してくれて涙が出たというエピソードが語られている。
 踊り子では伊吹まり、ヒロセ元美、メリー松原の三スターが揃ってミュージックホールに加盟してくれたことに「恩義を感じている」という。というのもそれがやがて奈良あけみ、春川ますみ、ジプシー・ローズ、小浜奈々子たちがミュージックホールにやって来る動機となったから三人のスターは興隆のきっかけをつくったわけだ。
 「すべて乳房からはじまる」はその三人のスターのあとを継いだ小浜奈々子の最後の舞台だった。
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by yumenonokoriga | 2013-11-20 11:07 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

「すべて乳房からはじまる」

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 はじめて日劇ミュージックホールの舞台に接したのは大学生になって上京した一九六九年(昭和四十四年)の春だから「ばんざい昭和元禄」か「触覚の季節」のはずだが、いずれかの記憶はない。
 前者であればトップが小浜奈々子で、彼女とアンジェラ浅丘の名前は知っていたから、ここで見ていれば印象に残っていなければならないはずだが、それもおぼえていない。後者のトップ星ひとみは知らない名前で、はじめての観劇は「触覚の季節」の可能性が強い。
地方出身の貧乏学生に余裕はなく、小遣いのすくないのをものともせずせっせと通うほどの熱心さはなかった。いつだったかせっかく入ったのにトップスターのアンジェラ浅丘が休演していてがっかりしたのをおぼえている。
 転機となったのは一九七二年(昭和四十七年)一、二月公演「すべて乳房からはじまる」だった。開場二十周年記念公演とあるだけで、小浜奈々子の引退は謳われていないが、これが最後のステージとなった。斯界の大スターの舞台にかろうじてまにあったのは僥倖としなければならない。
出演者はトップに小浜奈々子、つぎに松永てるほ、朱雀さぎり、高見緋紗子が来て、さらにのちにトップスターとなる岬マコ、舞悦子、浅茅けい子たちがつづいた。松永てるほと朱雀さぎりはすでに一本立ちのスターだったから本格的な共演はおそらくこの舞台が最後ではないか。ゲスト歌手はNDTの藤井輝子。
 豪華な出演者による舞台は華やかで美しく、わたしが観た全公演のうちで最高の舞台だった。買ったことのないパンフレットを求めたのもこのときがはじめてで、それほどに魅せられていた。
これ以後一九七三(昭和四十八年)五、六月の「五月雨に女は濡れた」までの九つの舞台はすべて観た。およそ一年半のあいだ二か月に一度は必ずミュージックホールに通っていたわけだ。
残念ながら帰郷して就職したから以後は上京した折りにしか接することができなかった。公私用含め多いときで年間三回。一回限りの年もあった。これがわたしのミュージックホール観劇のすべてで、マニアの足許にも及ばない。
 ミュージックホールの閉場を知ったときは、東京へ行くたのしみがひとつ減ったなといささか気落ちしたものだった。
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by yumenonokoriga | 2013-11-15 10:34 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(5)

『秘戯』

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 『楢山節考』で作家として一本立ちした深沢七郎は、そのあと師とした丸尾長顕との関係に間隙が生じたこともあり日劇ミュージックホールとの縁も絶った状態にあった。
 嵐山光三郎『桃仙人 小説深沢七郎』で深沢は「マルオなんてやつは、ろくでもないやね。先生づらして偉ぶるやつでね。もしかしたらマルオに会うじゃねえかと思って、それでここへ来たくなかった」と率直な気持を口にしている。ともあれこのときのミュージックホール再訪は丸尾と義絶して以後に深沢が持ったこの劇場とのかすかな接点だった。昭和四十七、八年ころの話である。
 接点といえばもうひとつ深沢は昭和四十六年に東向島に開店した今川焼の夢屋にちなむ夢屋書店を設けていて自作の『秘戯』を刊行している。新海均『深沢七郎外伝』と石田建夫『戦後文壇畸人列伝』によれば、和綴じ、全ページ上辺と天の部分に初期の日劇ミュージックホールのスターだったヒロセ元美の口紅を塗った唇の跡形をあしらっていて、その皺までもがくっきりと印刷された稀覯本である。江戸時代の遊女の恋文に倣ったとされる装丁は深沢がギタリストとしてミュージックホールに出演したときの名前、桃原青二を用いている。
 三島由紀夫『天人五衰』(『豊饒の海』第四巻)が新潮社から刊行されたのが昭和四十六年二月二十五日で、石田前掲本によると三島の遺作は定価五百八十円だった。『秘戯』の出版はこれに先立つ一年ほど前で定価千五百円の注文販売だが、これでも採算度外視の価格だっただろう。
 ミュージックホールを去って久しい深沢だったが『秘戯』にはヒロセ元美との協力関係が見えている。深沢が嵐山光三郎とともにミュージックホールを訪れたときヒロセ元美は振付スタッフとして参加していて「おじさん、ひさしぶり」と深沢に声をかけている。このとき深沢が丸尾との再会のリスクを危惧しながらもミュージックホールへ足を運んだのはそこにヒロセがいて、一年余りまえの『秘戯』のルージュが思いあわされてのことだったのではなかったか。
(写真の「秘戯」はネット上の私家版「エレクトリック楢山節」第7回 深沢七郎を偲ぶ宴 2010年12月29日より引用させていただきました。)
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by yumenonokoriga | 2013-11-10 09:44 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(2)

丸尾長顕、深沢七郎、久里洋二

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 深沢七郎、久里洋二、関根庸子。いずれも世に出るにあたり丸尾長顕との縁があった人たちである。
門下生といってよいだろう。このうち深沢七郎は丸尾から離れ、両者は義絶してしまった。
 その経緯について丸尾は「楢山節考ざんげ」を書いたが、深沢にこの種の証言があるかどうかについてはわからない。そうは言っても久しぶりに日劇ミュージックホールを訪れた深沢が同行の嵐山光三郎に「マルオなんてやつは、ろくでもないやね。先生づらして偉ぶるやつでね。もしかしたらマルオに会うじゃねえかと思って、それでここへ来たくなかった」と言ったところから、両者の確執の度合と深沢の気持は推し量られる。
久里洋二によると『楢山節考』が第一回中央公論新人賞を受賞して間もなくして「深沢君は丸尾さんと会わなくなってしま」い、以後「深沢君は二度と丸尾先生とは会わなかった」のである。
 さらには深沢の丸尾に対する感情は久里洋二にも及んだふしがある。
〈深沢君に、受賞祝いにF50号の鶏を描いた絵をプレゼントした。ところが、すぐに返却してきた。手紙に「あまりに立派で高価な絵をもらうわけにはいかないので返します」とあった。僕は、この絵が気に食わないのかと思ったが、そうではなくて、いつも留守する家に宝物は置きたくないとの事だった〉。
 こうして深沢と久里との関係も遮断したままとなった。
 丸尾はずいぶんと面倒見のよい人だった。深沢を日劇ミュージックホールのギタリストとして世話し、『楢山節考』の改稿を指導した。たやすくできることではない。将来の利潤をあてにした投資行動という面も一部にあったかもしれないが、それだけで人の世話はできないだろう。
 だが結果として丸尾は深沢七郎を狡猾でカネに汚い人間と見た。いっぽうで久里洋二を評して「仁義に厚い」と言っているところを見ると、丸尾は深沢の「仁義」に憤懣やる方なかったと思われる。
 「楢山節考ざんげ」における、指導し、マネージメントをした自分にしかるべき謝金も寄越さなかった深沢への論難は丸尾自身の人品骨柄をも語るに落ちたものとした。おそらく丸尾はそれを承知して、それでも書かなければ気持が納まらなかったのだろう。
(写真は左より久里洋二、深沢七郎、丸尾長顕、「楢山節考ざんげ」より)
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by yumenonokoriga | 2013-11-05 09:13 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(2)