NMHOG会の記(三)

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 懇談会のあとはいよいよ開宴。料理とお酒が運ばれて来て、松永てるほさんが乾杯の音頭をとった。
 しばらくは歓談のひととき。ミュージックホールに出ていたころはあんなに飲んでいたのにいまはだめとおっしゃる方もいたが、見ているとなかなかどうしてよいお酒だ。きょうは特別の一日だったのだろう。わたしの眼には森サカエ、松永てるほ、岬マコさんはよい飲みっぷりと映りました。
お酒もそこそこ入ったころ森サカエさんにリクエストが寄せられた。日本レコード大賞功労賞の受賞者にカラオケでリクエストできるのもおなじ舞台に立った絆があるからだろう。
 「わたし、カラオケで歌ったことないのよ」と言いながら、森さんが選曲したのは”Love is a many Splendored Things”、そう、ウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズによる香港を舞台にしたラブロマンス「慕情」のテーマである。声量ゆたかで力強い歌声は若いときとまったく変わりない。天性の資質とともに日頃の鍛錬に負うところが大きいのだろう。ともあれこうしたかたちで森さんの歌が聴けるなんて、それだけで感激である。
 森さんのあとは堰を切ったようにみなさんがマイクを握る。小浜奈々子さんが歌えば、妹の西崎ぼたんさんも負けていない。ぼたんさんは病後とおっしゃっていたが迫力ある歌声はそんなことを微塵も感じさせず、この歌声にインスパイアされたのか小鳩みきさんが踊りを添えた。そうして小鳩さんはひと踊りのあとは自身がマイクを握り、呼吸ひとつ乱れもみせず朗々とした歌声を披露。これもミュージックホール時代に躰を鍛えた賜物だろう。
 そして岬マコさんと松永てるほさんが続く。マコさんはミュージックホールのステージで歌っていたし、てるほさんもレコードを吹き込んでいるから当然だとしても、みなさんお上手で、ひょっとすると小浜さんのレコードもあるのかもしれない。いずれにせよ司会の西条昇氏が語っているように「日劇は語られてもミュージックホールが語られる機会は少なく」資料の整備はこれからの課題だ。
 てるほさんやマコさんが歌う頃になるとわたしは素敵な雰囲気とめっぽううめえ酒で酔眼朦朧の域に近くなり、われに返ると森サカエさんを中心にみんなで「明日があるさ」を合唱していて、そのリフレインのところで森さんからマイクを渡され、あわてて「明日がある、明日がある」と歌っていたのだった。
(写真は舞悦子(左)と水原まゆみ。OG会のあと未知の方から、舞悦子さんのお元気なことを願っています、OG会では話題に出なかったでしょうか、よろしければご迷惑のない程度でけっこうですので教えてくださいといった主旨のメールが寄せられた。長年にわたるファンの心情にこちらの胸も熱くなった。)
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by yumenonokoriga | 2014-08-30 08:10 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

NMHOG会の記(二)

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 OG会を企画したN氏と呼びかけ人の小浜奈々子さんのあいさつにつづく懇談会は司会に『ニッポンの爆笑王100』『東京コメディアンの逆襲』等の著者の西条昇氏、カメラマンに都築響一氏(写真集『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』で第二十三回木村伊兵衛写真賞受賞)という豪華スタッフを配して開幕した。
 まだテープではなくバンドの演奏で踊っていたころのミュージシャンの思い出(渡辺貞夫もここで演奏したことがあったそうだ)や「セリを降りたところに電話があり、和っちゃん先生から電話がかかると小助さんを背負って(泉和助、空飛小助いずれもミュージックホール専属のコメディアン)よく伊吹マリさん(ミュージックホール初期のスター)がやっていらしたお店へ飲みに行ったのがなつかしい」といったバックステージの話が出ると、次にはアルバイトで進駐軍に行って踊るのはギャラも高くてよかったけれど、高い地位にある軍人たちが集まる将校クラブでは夫人同伴で、それに応じたステイタスの高いショーをと申し出がありずいぶんとまどったといったミュージックホールの外での苦労話が語られるといった具合で話は尽きない。
 森サカエさんが昭和三十三年にミュージックホールのオーディションに合格して出演したときの感激と新聞紙上で賛辞をいただいたときのうれしかったことを語れば、おなじころ、あるテレビ番組で劇場とおなじだろうとトップレスで出演したところ、テレビ局はブラをつけるのは言わなくてもわかっているはずと思っていて、もちろん当時はすべてナマ番組なので大失態となったといった珍談もあった。
 そうしているうちにはじめ参加予定だったのがスケジュールの都合で来られなくなったカルーセル麻紀さんから事務局のK氏の携帯に電話がかかってきて、そこからマイクを通してみなさんへのごあいさつと次回はぜひ参加するからとメッセージが寄せられた。そのとたんに「カルーセルのお姉さん、会いたかったわ!」とある方が口にした、すると「あの人、お兄さんじゃないの?」とどなたかが半畳を入れて一同大笑い。
 絶好調のノリとなったところで懇談会の締めとして演出家の庄野正紀氏、ダンサーの方々にとっては「先生」が立たれて「みなさんお元気で、こういうかたちでお会いできてほんとうにうれしく、感に堪えません」としみじみとあいさつされ、聞く者の胸を打った。
(写真はアンジェラ浅丘。これまでこの人について書く機会がなく、せめて写真を掲載することにした。)
 
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by yumenonokoriga | 2014-08-25 08:49 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

NMHOG会の記(一)

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 日劇ミュージックホールが幕を下ろして三十年のことし、はじめてのOG会が開かれ、筆者も先日、小浜奈々子、松永てるほ、岬マコさんの面識を得たことから受付役などの手伝いを兼ねて参加させていただいた。
 企画をしたのはN氏、そして昭和三十年代前半から四十年代後半にかけてのトップスター小浜奈々子さんが中心となって呼びかけた。これに応えて小浜さんの後を継いだ松永てるほさん、日比谷の劇場の掉尾を飾った岬マコさんをはじめ小鳩みき、西崎ぼたん、牧京子、若山昌子、南まみ、加茂こずえのダンサーのみなさん、また歌手としてゲスト出演した森サカエさんと演出家の庄野正紀氏がこの六月十五日にパセラリゾーツ銀座店に集った。
当日の読売新聞に「ミュージックホールダンサー初のOG会」という見出しで紹介記事が載っている。以下はその全文。
 〈劇作家の寺山修司や演出家の蜷川幸雄らも参加し、多彩なショーで人気を集めた日劇ミュージックホール(東京・有楽町)が幕を閉じて三十年。スターだった小浜奈々子さんらのよびかけで初のOG会が十五日に東京で開かれる。
ミュージックホールは一九五二年にオープン。豪華なレビュー・スタイルのヌードショーが売り物で、ショーの合間にはトニー谷や渥美清ら人気コメディアンが出演した。文化人にファンが多く、構成・演出には谷崎潤一郎、三島由紀夫といった文豪のほか、寺山や蜷川さん、石原慎太郎さんらが名を連ねた。
 ラインダンスで知られた日劇ダンシングチームからミュージックホールに転身した松永てるほさんは「ヌードになったほうがいい曲で踊れた。円形ステージでせり上がって真っ赤な照明を浴びて髪を振り乱して踊りたかった」と話す。
八一年に再開発で日劇ビルが取り壊されると、ミュージックホールは日比谷地区に移転したが、娯楽多様化のあおりで客足が減り、八四年に解散した。ダンサーはばらばらに活動するようになったが、二0一二年に小浜さんがかつての仲間と集まった際に「OG会をやりたい」と話が出た。「デートする暇もなく踊りに打ち込んだ。私の青春がそこにあった。会いたい人がたくさんいます」と小浜さん。
OG会に合わせて江戸川大学メディア・コミュニケーション学部准教授の西条昇さんら研究者は、ミュージックホールの文化・歴史研究会を作り、資料の収集も進める。西条さんは「日劇は語られてもミュージックホールが語られる機会は少ない。皆さんが元気なうちに記録を集めたい」と話している。〉
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by yumenonokoriga | 2014-08-20 08:44 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

公演リストの補遺

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 この六月十五日にはじめてのミュージックホール同窓会NMHOG会が催され、それを紹介する読売新聞の記事に「大衆芸能に詳しい江戸川大学の西条昇准教授は『日劇は語られてもミュージックホールが語られる機会は少ない。皆さんが元気なうちに記録を集めたい』と話し」た、とある。
 まことにその通りで舞台は幕が閉じれば消えてなくなるといっても、それは記録や資料の不要を意味するものではない。日本のショービジネスの世界で確たる地位を占めていた日劇ミュージックホールの記録と資料は可能な限り整えておいてほしいと願っているけれど基礎となる公演リストひとつとっても完全なものはない。
 さいわい橋本与志夫・石崎勝久『the Nichigeki Music Hall』(東宝1982年)にある「日劇ミュージックホール30年全公演リスト」は第1回の「東京のイブ」(昭和27年3月17日~31日)から第185回開場三十周年記念公演「エロティカルグラフィティ」(昭和57年3月3日~4月25日)までを収めていて貴重なものであるが、そこから先、閉場するまでの公演リストはない。
 いつだったかこのコラムで基礎的な資料の不備についての愚痴を書いたところ、秋山薫氏から私信が寄せられ、そのなかにこんなリストでよければ参考にしてくださいと「エロティカルグラフィティ」以後の公演リストが記されてあった。二つの公演が不明ながら労作に感激したのは言うまでもない。その労にお応えしたくて以下に186回公演以降のリストを掲載しておきたい。
・186 不明 昭和57年5-6月
・187マリンブルーのときめき 昭和57年7-8月
岬マコ、大山節子、ジャンボ久世
・188華麗なるエロスの祭典(東宝創立50周年特別公演)昭和57年9-10月
松永てるほ、浅茅けいこ、明日香ミチ
・189年忘れエロスの最前線 昭和57年11-12月
岬マコ、大山節子、ジャンボ久世、明日香ミチ
・190エーゲ海の濡れた唇 昭和58年1-2月
浅茅けいこ、朝比奈れい花、炎美可
・191不明 昭和58年3-4月
・192ハローミュージックホールおいらん 昭和58年5-6月
浅茅けいこ、朝比奈れい花、明日香ミチ
・193演歌inエロス 女からおんなへ 昭和58年7-8月
   岬マコ、大山節子、ジャンボ久世
・194エクスタシーの夜 昭和58年9-10月
浅茅けいこ、明日香ミチ、マリア茉莉
・195演歌inエロス ザ・ゲイシャ 昭和58年11-12月
  岬マコ、大山節子、愛染恭子、朝比奈れい花
・196さらば日劇ミュージックホール 昭和59年1-3月
岬マコ、大山節子、明日香ミチ
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by yumenonokoriga | 2014-08-15 08:33 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

脚線美の時代

a0248606_1041951.jpg  伴田良輔編訳『脚線美伝説』(原題『HOLLYWOOD CHEESECAKE』)は脚線美の歴史的経過について、かつては「ためらいがちに足首を広げた時代」があり、それがいまでは「肉体のあらゆる部分をカメラの前で屈託もなくさらけ出す状況」へと変化しており、その過程に胸よりも脚が注目された「脚線美の時代」があったと述べている。
 日劇ミュージックホール閉場の原因のひとつにポルノの攻勢が挙げられる。舞台にもよくロマンポルノの女優さんがゲストとして出演していた。週刊誌にもヘアーヌードが載るようになれば脚線美は等閑視されるようになる。マクロな眼で見れば昭和五十九年(一九八四年)日劇ミュージックホールの閉場は日本における「脚線美の時代」の終焉を意味していたのかもしれない。
 終わりがあればはじまりがある。永井荷風がアメリカ滞在中に、友人西村恵次郎に宛てた手紙に、春画はおかしくはあるものの、実感は起こさせない、むしろ「実感の点から云ふと足踊りをやッて居る安芝居の広告画の方が遥に有力なのです。今日春情実感を起させる一番有力なのは、女のペチコートの間から、ほの見える足の形一ツです。細い舞り靴をはいた女の足・・・・・・此れが一番微妙な妄想を起させるです」(明治三十八四月一日)と書いている。
 荷風もまた脚線美に魅せられたひとりだったが、それ以上に彼のばあいは、脚線美を発見した日本人のひとりと考えたほうがよいだろう。永井荷風が日本人の先駆者として発見した脚線美、そしてわが国の脚線美の時代はミュージックホールの閉場とともに去った。荷風とミュージックホールをこよなく愛するわたしはこの妄想に殉じたい。
 松浦静山『甲子夜話』に、若いころ両国に納涼に出かけ、隅田川に浮かぶ大小の屋形船で繰り広げられる弦管の音や娼妓の舞や水に映る燈の光を回想したくだりがあって「年老たるは悲むべけれども、昔の盛なるを回想するに、かヽる時にも逢しよと思へば、亦心中の楽事は今人に優るべき歟」と詠嘆しているが、このくだりを読むと荷風を、ミュージックホールを追懐しながら、眼福にめぐまれたものだとあらためて思わずにいられない。
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by yumenonokoriga | 2014-08-10 08:02 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

チーズケーキ

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マディソン・S・レイシー編『ハリウッド製チーズケーキ』という写真集がある。編者はハリウッドのごく初期から映画界で仕事をしてきたポートレイトカメラマンだ。その昔、丸善やイエナ書店へ行くたびに探してみたがとうとう見つからなかった幻の本だが、さいわいなことに一九八一年刊行の本書が一九九六年になって翻訳され伴田良輔編訳『脚線美伝説 レッグアートの女神たち』(KKベストセラーズ)として刊行された。
 チーズケーキは辞書によるとセクシーな女性の肉体美を見せる写真、セクシーな女性の魅力とある。どうしてチーズケーキがそうなったのか。
たとえば見事に撮られたチーズケーキの写真を見て、こりゃうちのかみさんが焼くチーズケーキよりもおいしそうだと誰かが言ったところから来たという説や初期のハリウッドでは美人女優の豊かな胸をカップケーキと称しており、彼女たちの写真を撮るときにはチーズと言わせて微笑みの表情をさせていたことから、カップケーキとチーズが合体したとする説がある。いずれにせよ女性の魅力を、狭義には脚線美をテーマに撮った写真で、だから原書の副題は「レッグ・アートの六十年」とされている。
 『本についての、僕の本』でこの本を紹介した片岡義男は「ひとつひとつを見ていくと、まったく飽きない。脚はすなわち性なのだから飽きるわけないのだが、性のシンボルはハリウッドにおいてはたいへん高度にそして人工的に様式化されているから、写真をながめる行為は二重三重に面白い」「どの女性たちも、きれいな脚をしている。これならシンボルになり得るだろう。(中略)聞いたことがあるようなないような名前の美女たちの脚が、本を手にした観客である僕に、しきりになにごとかを語りかける。よく名前を知っている女優たちも、語りかけにおいては負けずに雄弁だ」と述べている。
 日劇ミュージックホールの舞台写真を撮りつづけたカメラマン稲村隆正は「そうするとあれですか。イングリッド・バーグマンにしろ、グリア・ガースンみたいな人にしろ、稲村さんはどちらかというと容貌を見てすっと脚に目がいきますか」とのアサヒカメラ編集長岡井輝雄の問いに「そうですね。腰から下の線にあこがれる」と答えている。
 稲村の写真集には「日本製チーズケーキ」の趣がある。
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by yumenonokoriga | 2014-08-05 08:22 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)