テレビとミュージックホール

昭和三十年(1955年)当時のラジオ東京が民間放送としては二番目にテレビ放送を開始した。ラジオ東京テレビ、現在のTBSで、同局は先行のNHKと日本テレビが手を出さなかったヌードショーに着目し、開局二週目から「ミュージック・ホール」をスタートさせた。第一回に出演したのは奈良あけみとR・テンプルだった。以上、荒俣宏『万博とストリップ』(集英社新書)より。
「ミュージック・ホール」がいつまで続いたかはわからないし、わたしの地方では長いあいだTBSのチャンネルはなかったからこの番組は知らない。ブラウン管にヌードダンサーを見たのは、中学生だった昭和四十年代のはじめ「11PM」だったような気がする。
昭和五十九年の日劇ミュージックホール閉場に際してはNHKが特番を組んで舞台の映像を流しており、評論家の橋本与志夫とジプシー・ローズのマネージャー兼内縁の夫だった正邦乙彦がインタビューに応じていた。それらの映像が残っていれば貴重な資料となる。
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by yumenonokoriga | 2015-02-20 11:25 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

大村重高

「週刊新潮」昭和三十三年六月三十日号「グラビアレポート日劇の女たち」で日劇というお城の最も古い住人として大村重高が大きく紹介されている。
はじめ日劇ダンシングチームのダンサー、つづいてストリップ時代の日劇小劇場の振付師兼ダンサー、そしてミュージックホールになってからは振付師兼ダンサー兼コメディアン兼舞踊教師として活躍してきたとある。
この時点ではや十七年間日劇に棲みついていて、わたしがはじめてこの人を舞台に見たのは昭和四十八年当初の「すべて乳房からはじまる」だったから、そのときは日劇での暮らしは三十年を超していたことになる。
公演リストでは昭和五十年三、四月の「女王さまに捧げ銃!」の演出に名前があるが、その後は記載がない。大村重高の日劇住人歴は何年にわたったのだろう。
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by yumenonokoriga | 2015-02-14 09:51 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

日劇ダンシングチームがニセモノにされた話

「週刊新潮」昭和三十三年六月三十日号に「グラビアレポート日劇の女たち」という日劇ダンシングチームとミュージックホールを併せた十五頁にわたる特集が組まれていて、記事のなかにミュージックホールの観客のおよそ30%が外国人で占められているというデータが示されている。アメリカを中心とする駐留軍の兵隊が本国で吹聴してくれた賜物で、いつしか諸外国では「ニチゲキ」といえばミュージックホールを指すようになり、そのために日劇ダンシングチームがオーストラリアで公演した際には「ヌードのいないこのチームはニセモノだ」と言われてクサったとか。
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by yumenonokoriga | 2015-02-06 09:18 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)