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ダンサーの名前

 和歌と相撲とは相性がよくて力士の醜名や年寄の名前でしっかりと結びついている。落語でいえば「千早ぶる」の龍田川がいる。おなじく「佐野山」という噺には十両筆頭の佐野山と千秋楽で対戦した寛政の大横綱谷風がいる。「谷風にとくる氷のひまごとにうちいづる浪や春のはつ花」(古今集春上)をはじめ谷風はしばしば王朝和歌で用いられていた。
 田子の浦、阿武松、武蔵川、出羽の海、花籠、高砂といった年寄名も和歌と似合いで、ここのところの事情について丸谷才一の随筆「立ちて見に来し印南国原」には「和歌的なものと相撲的なものとが呪術性において一致してゐるのである。その呪術性が文学性に変つて、優雅な洗練をもたらしたのだ」とある。
 そして丸谷氏はこういう美風を近代日本において最も華やかに継承したのが宝塚で「天津風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ」(僧正遍照)の天津乙女と、「有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする」(大弐三位)の有馬稲子を例として挙げている。
 こうして神仏への祈りや華やかさが和歌と相撲と宝塚をつなぐ。
 ならば戦後「額縁ショー」「エロレビュー」に発した裸舞の世界はどうだったか。ここには個性において相撲や宝塚に匹敵するきらびやかな芸名群があり、多くはカタカナが付いた。ミス池上、片岡マリ、伊吹マリ、メリー松原、ヒロセ元美、ジプシー・ローズ、ヘレン滝、邦ルイズ、グレース松原、ムーン冴子、パール浜田、マーガレット丘、エミ―中村、リリー月丘、R・テンプルといったふうに。
 カタカナの付かないのは奈良あけみ、春川ますみ、桜洋子、園はるみ、月城ゆりといったところか。
 「ストリップ・ティーズは生粋のアメリカ産のアメリカ的センスに溢れた見世物」(岡田恵吉)であり、くわえて展覧会の裸体画にも覆いを掛けていた日本人が公然と舞台の裸を見られるようになったのは敗戦と米軍進駐の賜物だったから、カタカナ名が多くなったのは当然だったし、あの時代のカタカナ名には祝祭の雰囲気をもたらす語感があった。
 ところが日劇ミュージックホールのばあい、小浜奈々子や小川久美が登場した昭和三十年代になるとカタカナ名はアンジェラ浅丘という大スターを別にするとあまり見かけなくなる。島淳子、花浦久美、加茂こずえ、多喜万利、高見緋紗子といった具合で、流行語にもなった「もはや戦後ではない」は昭和三十一年七月に公表された『経済白書』の結語だったから、奇しくもダンサーの名前の変化は戦後の経済の流れと軌を一にしていた。
 小浜奈々子や小川久美、島淳子、花浦久美は芸名であってもふつうの女性名のようで、ここのところにも時代の嗜好が作用していたのだろう。
 この傾向はその後の大山節子、野々村美樹、沢理恵、南ゆき、水原まゆみ、浅茅けいこといった名前にも表れている。
 松永てるほ、岬マコは芸名のようであり、そうでもないようでもある。
 朱雀さぎり、明日香ミチ(写真)、炎美可、舞悦子、梓かおりなどは姓に特色を持たせている。
 これらの名前の変遷にも日本の女性名がバラエティに富んだことが示されている。
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by yumenonokoriga | 2015-09-22 11:33 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

「昭和の裸」

 先日リメイクされた「日本のいちばん長い日」を観た。ポツダム宣言受諾を決定した八月十四日昼の御前会議から十五日正午の玉音放送までの一日における戦争終結か継続かをめぐる白熱のドラマだ。
 陸軍の若手将校を中心とする本土決戦派は巻き返しの最後の試みとして近衛師団と東部方面軍を動かし天皇の吹き込んだ音盤を争奪したうえ、ラジオで徹底抗戦を呼びかけようとする。首謀人物の一人が畑中健二陸軍少佐でこの重要な役を松坂桃李が熱演している。
 ただ申しにくく、仕方のないことだけれど若い役者の軍人姿が発する昭和戦前の雰囲気は稀薄で、整った顔立ちが余計そう感じさせたのかもしれない。それとも一九六七年(昭和四十二年)製作の「日本のいちばん長い日」で畑中健二少佐に扮した黒沢年男の印象が強かったからか。昭和の黒沢年男の風貌に比較するとやはり松坂桃李は平成の顔だった。
 天皇の代替わりで容貌や骨相が変わるはずもないが、人々の嗜好から遺伝子の作用まで複雑な要因がからみあいながら歳月はこうしたところにも影響を及ぼしていて、そういえばMGMのミュージカル映画のハイライトシーンで構成したアンソロジー「ザッツ・エンタテインメント」におけるハリウッド初期のコーラスガールたちはいまの基準からするとだいぶん太目だった。
 一九二0年代から三十年代にかけてニューヨークのハーレム地区に実在した高級ナイトクラブ「コットンクラブ」を描いた同名の映画は一九八四年に作られているが、このときフランシス・フォード・コッポラ監督は当時の雰囲気を醸し出すために太目のコーラスガールを集めたと聞いたことがある。
 一九七四年生まれの映画監督西川美和が一九四八年生まれの谷ナオミに取材で会って(二000年頃のことらしい)そのときの元女優の肢体についてこんな感想を述べている。
 「全体にうっすらと丸みを帯びた、いかにも『昭和の裸』というタイプで、和服を着た時にジャストの体型というのだろうか、今の時代に裸で仕事をする各種の女優業の人たちとも肢体の類が明らかに違う」。(『映画にまつわるXについて』)
 日劇ミュージックホールには谷ナオミはじめ日活ロマンポルノの女優さんが何人か出演していたが、演技と踊りの違いだろう総じてヌードダンサーのほうがやわらかな筋肉が付いている印象がある。ミュージックホールが生き延びていたら「平成の裸」はどんなふうになっていたのだろう。
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by yumenonokoriga | 2015-09-02 09:45 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)