脚線美閑話(三)~寅彦と久米の仙人

 若い娘が蕎麦の出前のために自転車に乗ろうとした。右の手は出前の盆を高くさし上げ、左の手をハンドルにかけ、左の足をペダルに掛けて、つっと車を乗り出しながら右脚を軽く上げてサドルに腰かけようとしたときわずかな風が水色模様の浴衣の裾を吹いて、その端がサドルに引っかかりそうになった。
 その瞬間、まっ白な脛(はぎ)がちらりと見えた。脛は膝から足首までの部分をいう。娘はあわてず右脚を下ろしたうえ再度腰をかけようとして、こんどは上手くいったのでそのまま遠ざかっていた。
 これをプラタナスの樹陰で電車を待っていた寺田寅彦が見ていて、朱塗りの出前の荷と浴衣の水色模様に映えたまっ白な脛、その脚線は「ちょっと歌麿の絵を現代化した光景」だったと書いている。(『柿の種』「曙町より(十)」)
 『徒然草』には「世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。人の心は愚かなるものかな」(第八段)の事例として、空を飛べる通力を身につけた久米の仙人が、着物をかきあげて洗濯をしている若い女の白い脛を見て女の前に落ちたという話がある。
 寺田寅彦には「徒然草の鑑賞」というエッセイもあるから蕎麦の出前の女性の脚線に連想した「歌麿の絵」とともに久米の仙人の話も心に浮かんだと想像してあながち見当はずれでもないだろう。
 諸兄とおなじくわたしも空を駆けずりまわるよりも女に焦がれるほうを選ぶ。だから久米の仙人にはかねてより好感を抱いている。仙人でもそうだから自分も空を飛ぶうちに「きよらに肥えあぶらづきた」(ふっくらと脂肪がついている)女の白い足を見ればきっと落ちてしまうだろうし、それで悔いはない。それに天界にはえらい神様が大勢いてあまり住みやすいところではないかもしれない。
 久米の仙人が好きだという薄田泣菫は、性欲を絶つための薬を飲んだなんとかという僧侶を、人間は無駄な空想に駆られて生活の力を自分で殺ぎ取ったり、せっかく内から燃えてくる焔を自分で塞いでしまってはならないとしたうえで女の脛を見て空から落ちた人を讃えている。
 「久米の仙人の生活には充実があつた。弾力があつた。その生命は永久に若返つて、わたしたちの生活に脈搏つている」と。(「久米の仙人」)
 『今昔物語』によると、女の前に落ちた元仙人は彼女を妻とし、のち久米寺を建立したというから塵網にあっても徳の励行に努めたのだった。
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by yumenonokoriga | 2016-02-17 08:56 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

脚線美閑話(二)~「シャイニーストッキングス」

 たとえば晴れてさわやかな風のそよぐ日の夕方、交差点に向かって歩いていると、前で信号待ちしている人たちに夕日が射して、その中のひとりのOLのストッキングがキラッと光る一瞬があったりする。
 こんな「シャイニーストッキングス」の光景に同名の曲をハミングしたり、歌詞を口にするジャズファンは多いのではないか。わたしもそのひとりだ。
 「シャイニーストッキングス」はカウント・ベイシー楽団の演奏で一世を風靡したスウィングジャズの名曲、とりわけアルバム「ベイシー・イン・ロンドン」のヴァージョンは名高く、ビッグバンドジャズの醍醐味が味わえる。スモールコンボでは鈴木章治とリズムエースのおしゃれで、春風駘蕩とした感のある演奏がわたしのお気に入り。
 一九五六年にカウント・ベイシー楽団のスターサックス奏者だったフランク・フォスターが作曲し、オリジナルの歌詞はジョン・ヘンドリクスが付けたが、わたしは未聴で、のちにエラ・フィッツジェラルドが自身で書いた歌詞で歌って、こちらのほうを採りあげる歌手が多い。
 そのエラヴァージョンは「あなたとのデートはいつもとっておきの絹の靴下 、するとあなたは素敵な脚だって褒めてくれた、それがなによ、よそ見ばかりするようになって・・・・・・心変わりした男なんてもういいの、素晴らしい彼氏を見つけるんだから」といった具合。
 この曲を聴くとアーウィン・ショーの短篇小説「夏服を着た女たち」を思い出す。というかわたしのなかでは楽曲と小説とはセットになっている。
 小説は休日のニューヨークを散歩している若い夫婦のスケッチ。街を行く美しい女たちに頻繁に目移りがする夫。もちろん妻はおもしろくない。そして会話はだんだんとオーバーヒートして、レストランで飽和点に達しようとしたとき、たまたま妻が電話に立ち、その後ろ姿に目を遣った夫は、なんて魅力的な女なんだろう、なんて素敵な脚なんだろうと感じ入る。
 「シャイニーストッキングス」の歌詞にある若いカップルもきっとこんなふうに仲直りするにちがいない。
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by yumenonokoriga | 2016-02-05 10:45 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)