昭和二十八年十一月三日という至福の一日について

 このブログの昨年三月二十四日の項で筆者は同年二月二十四日朝日新聞の「『日劇』は日本劇場の略称。1933年に開場し、映画の話題作を上映する一方で、併設された日劇ミュージックホールでは日劇ダンシングチームのレビューやロカビリー全盛期のウエスタン・カーニバルなどが人気を集めた」という記事を引用して、日劇は遠い記憶になっており、隣にあった朝日新聞でさえ大劇場とミュージックホールを取り違えるような事態になっていると述べた。
 先日蓮見重彦『随想』(新潮社)を読んでいるとこのとりちがえについて触れている箇所があった。
「J.A.T.P.の東京公演は(一九五三年)十一月三日から八日までの六日間にわたって行われ、舞台は有楽町の日劇である。中には、日劇ミュージックホールと勘ちがいしている向きもあるが、普段は日劇ダンシングチームのレヴューと東宝系の封切り作品の上映で客を呼んでいた日劇の舞台いっぱいにオールスターズが登場したのであり、恒例のレヴュー「秋の踊り」は一時的に中断されていたのだと思う」。
 これはスウィングジャズ時代の花形ドラマージーン・クルーパに寄せて書かれたもので、J.A.T.P.(Jazz at the Philharmonic)はプロデューサーであるノーマン・グランツにつらなる有名アーティストからなるオールスターメンバーの編成で、このときのドラマーがジーン・クルーパであった。
 当時高校生だった蓮見先生は初日の十一月三日に得難いチケットを手にして制服姿でかけつけた、とある。
 『随想』は雑誌「新潮」の二00九年新年号から翌年四月号(とちゅう一回休載)にかけて連載されており、文筆家として日劇の大劇場とミュージックホールのとりちがえがないよう気を遣った書き方をしている。その心配が杞憂でないのは上の朝日新聞の記事がはからずも証明している。
 ところで大劇場でJ.A.T.P.のコンサートが催されていたときのミュージックホールの公演はといえば「恋は陽気に戯れて」(昭和二十八年十月二十八日~同年十二月二十七日)で、ヌードに伊吹まり、メリー松原、奈良あけみ、春川ますみの名が見えており、ゲストは柳家金語楼、坊屋三郎、古川緑波、山茶花究、トニー谷の錚々たるメンバーだった。
(なおこの公演については古川緑波がその日記で触れており、くわしくは本ブログ二0一四年六月二十五日の記事「『古川ロッパ昭和日記』に見る丸尾長顕」を参照してください。)
 レヴュー、映画、アメリカからやって来たオールスタージャズバンド、ヌード、有名喜劇人といったふうに、ここにはそのころの華やぎが集約されている。
 蓮見氏の記憶によれば十一月三日のJ.A.T.P.の演奏はマチネー、つまり昼の部のみだった。ということは本場のジャズを生で聴くのはまだまだ貴重だった時代に、オスカー・ピーターソンのピアノ、ジーン・クルーパのドラム、エラ・フィッツジェラルドのヴォーカル等々を目の当りにした感激のさめやらぬなかミュージックホールに上がって行った方も相当数いらしたのではないかと想像される。
 いまから振り返ってもうらやましい至福の一日だったように思う。
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by yumenonokoriga | 2016-08-09 11:09 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)