荒木一郎と日劇ミュージックホール(つづき)

 前回紹介した荒木一郎『まわり舞台の上で』にある、荒木の事務所経由で日劇ミュージックホールの舞台に立ったダンサー。答えはジャンボ久世。
『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)に「東京都北区赤羽の生まれ。本名苦瀬静枝。川村中学を経て、1972年、川村高校を卒業。アルバイトでゴーゴー・ガールをしているところを荒木一郎にスカウトされて、芸能界に入る。74年の日活映画『江戸艶笑夜話・蛸と赤貝』でデビュー。しかし大柄な身体が映画界では生かされないと判断して、映画界を去る。赤坂のコルドンブルーの踊り子に転じ、75年3月に“75年の大型新人”という触れ込みで、日劇ミュージックホールの舞台に立つ。そのとき、それまでの本名から93センチのバストにちなんで、ジャンボ久世の芸名をつける」とあり、これが彼女の公式の記録で、『まわり舞台の上で』にあるのが非公式の履歴となる。あるいはタテマエとホンネといったところか。
 93センチのバストも公式記録らしく『the Nichigeki Music Hall』(東宝出版事業室)には「ぼくらの印象では、あれはたしか一メートルは越していた。ウエストは80センチ(?)に近く、ヒップも一メートルオーバーで、だからこそ文字通りの“ジャンボ”だったのである」とあったりする。
ところで『まわり舞台の上で』にはミュージックホールに迎えられた彼女は以後同劇場の終焉までずっと中堅のスターとして踊ったとあるが、たしか失踪事件を起こしてミュージックホール最後の舞台には立っていない。
 ちなみにネットで検索をかけたところ「北脇貴士のブログ」
(http://takashikitawaki.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/429-1c71.html)に昨年四月に催された「ホープ一門ライブ」に彼女が出演したとの記事があり、そのときの写真も掲載されていた。
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by yumenonokoriga | 2017-01-27 10:29 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

荒木一郎と日劇ミュージックホール

 役者、歌手、作詞作曲家、プロデューサー、芸能プロダクション経営者、小説家とジャンルを超え多岐にわたって活動を続けてきた荒木一郎が昨年十月に刊行した『まわり舞台の上で』(文遊社)を読んだ。一九四四年生まれの奇才がその人生の軌跡と活動の集積を存分に語った作品である。
タフとやんちゃを併せ持つ人の語り口は痛快で、ときに娯楽読み物に目を遣っている気になる。たとえば桃井かおりが初めてのLP「ONE」(一九七七年十月)をフィリップスからリリースする直前の光景。
 フィリップスの社長がプロデューサーの荒木に無断で歌謡曲のアルバムみたいなジャケットをつくる。それを知った荒木は「なんだよ、社長呼べ」と言い放つ。
 制作の部屋に来た社長に荒木は「なんでお前がやるんだよ。桃井かおりをお前がやれるのか。お前がやれるんならお前がやれ。どれだけの思いをしてこっちがやってると思ってんだ」と啖呵を切りジャケットを社長に向けてぶん投げる。
 「いやいや・・・」と専務が間に入る。
 荒木「いやいやじゃないよ」「社長がやるんだったら俺は引くから、かおりと契約してるんだから勝手にやりゃいいよ。俺にやらせるんだったら、俺の言う通りやれよ」
 社長「やっていただきたい・・・」
 荒木「やっていただきたいじゃなくて、まず、やったことに対して謝れ。謝ってから言えよ」といった具合。
 とうぜん歯に衣着せない批評が随所にある。
 「こないだ、村上春樹がチャンドラーを訳したのを買ってきてみたときに、もうひどくて。やっぱり全然、何にも分かってないなと・・・・・・ハードボイルドが見えないっていうか、全然違うところにいるんだなぁと思った。やっぱり日本人のオタク的な人なんだろうなぁと思う」。
その根拠として荒木は、村上春樹の頭のなかにチャンドラーが書くマーロウみたいな探偵が存在してないのではないか、ただ憧れはあって、その憧れだけで書いた(訳した)のではと語る。
 わたしはレイモンド・チャンドラーのファンと自認しているけれど、村上訳チャンドラーの評価を云々する力はない。ただノーベル文学賞候補ととりざたされる作家を神格化することなく、明快で率直に論ずる姿勢には好感を持った。これなしに言論の世界の充実はありえない。

 ところで荒木は現代企画というプロダクションを経営していて、一九七0年代、池玲子、杉本美樹、芹名香ら東映、日活のポルノ女優の多くが所属していた。ここにマネージメントを担当していた荒木のいとこのおばさんがいて、ある女優を見つけてきた。ところがこれが箸にも棒にもかからない。やたらにでかいオッパイだけで日活に連れて行っても相手にされず通行人みたいな役しかつかない。
 でもすごく一生懸命やってるからなんとかしてあげたいと荒木は一考した結果、彼女はレストランシアター、コルドンブルーの舞台でハダカになることになった。やがてダンスを覚えた彼女は「いつか、日劇ミュージックホールに出たい」と口にした。荒木はそんな夢があるんだったら叶えてやりたいと思う。
 「どうやって日劇ミュージックホールにつなぐか、考えた。それで、日活に話して、日劇にコネを持ってるのがいるかって聞いたら、日劇を仕切っているのが、同じ名前の荒木っていう人だと言う。同じ名前だから、向こうも意識してるんじゃないかって思って、日活の紹介もあったけど、とにかく当たってみたんだ」。
 ミュージックホールの荒木尚志プロデューサーがどれくらいおなじ姓の荒木一郎を意識していたかどうかはわからないが、ともかく二人の荒木の会見は実現し、当の彼女はミュージックホールに迎えられ、以後同劇場の終焉までずっと中堅のスターとして踊った。
 『まわり舞台の上で』にある荒木一郎がミュージックホールと関係した箇所だが、困ったことにコルドンブルーを経てミュージックホールの舞台に立った彼女の名前がしるされていない。他のブログであればともかくここではそのままにはしておけない。そこで勇躍、研究に取り組んだわけですが、意外と簡単にわかりました。答えは次回で。
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by yumenonokoriga | 2017-01-12 10:18 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)