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花火の華麗

 肥前国平戸藩第九代藩主松浦静山(1760-1841)が隠居したあと書いた『甲子夜話』で、若いころ両国に納涼に出かけ、隅田川に浮かぶ大小の屋形船で繰り広げられる弦管の音や娼妓の舞や水に映る燈の光を回想しながら「年老たるは悲むべけれども、昔の盛なるを回想するに、かヽる時にも逢しよと思へば、亦心中の楽事は今人に優るべき歟」と述べている。
 ここのところを読んで思い出すのが一九九三年に八十二歳で亡くなった作家野口冨士男のSKD(松竹歌劇団)を讃えたエッセイ「レビューくさぐさ」で、そこには百八十センチ級のヌードの美女が三十人ほども舞台に登場するパリのムーランルージュの迫力はSKDにはない、しかし「SKDの踊りのスピード感と横一線に百人ちかくもならんで踊ることによってかもし出される、ラインダンスに固有な躍動感は舞台のせまいムーランにはない」「レビューの魅力は観ている瞬間だけの華やかさであって、演劇や映画のようにあとあとまで尾をひかない。その華麗さは、夜空に打ち揚げられる花火のようなものである。瞬間に消えてしまう歓楽ほど、贅沢なものはない。その贅沢さを知らぬ人は、なぜ花火が美しいかを理解できぬ心の貧しい人でしかないだろう」とある。
 一九八三年(昭和五十八年)八月の歌舞伎座でのグランドレビューを機に執筆された一文は、レビューの魅力を伝えるとともにフランチャイズである国際劇場を失い歌舞伎座に進出したSKDへの応援歌でもあった。
 松浦静山のいう、大小の屋形船で繰り広げられた弦管の音や娼妓の舞や水に映る燈の光と、野口冨士男の夜空に打ち揚げられる花火の華麗、瞬間に消えてしまう歓楽とが通じあっているのは一読、明らかであろう。
 SKDの前身SSK(松竹少女歌劇)が誕生したのが一九二八年(昭和三年)、ターキーこと水の江滝子の登場で人気が湧いたのが翌々年、野口はターキー登場直後あたりからのファンだった。一九一一年生まれだからいまでいえば高校生のころから魅せられていて、学生時代には「少女歌劇論」という論文を書いて劇評家にこの道へ進むよう激励を受けたこともあったという。
 「レビューくさぐさ」の六年後、SKDはレビュー劇団としての生命を終えた。そのとき野口は同劇団を追悼して「また一つ」(「群像」一九八九年六月号)を書いた。
 七十八歳にもなって少年時代から愛好してきたものがまた一つ消えていく淋しさ、「あのアトミックガールがもう観られなくなるのか、あの華やかなフィナーレにめぐり会えなくなるのかと思うと、こんな年まで生きてしまったばかりに、これほど寂しい思いをさせられるのかという気持も、わかる人にはわかってもらえるのではなかろうか」。
 みずからの老いをみつめながら、華やかだったレビューとその死を悼んだ名品である。
 老作家がSKDに捧げたオマージュは、日劇ミュージックホールのファンだった方なら「わかってもらえる」にちがいない。
 こうしてSKDのレビュー、ミュージックホールのヌード・レビューといった贅沢、その花火のような歓楽の美しさは日本の社会から消滅したのである。この時点で、社会と人心の変化によりレビューという形式で女性の美しさを表現するのは時代遅れとなったと解釈してよいのだろう。そのことを承知しながらも瞬時に消える花火の華麗の歓楽を忘れ去る気にはなれない。

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by yumenonokoriga | 2017-10-27 11:30 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)