蜷川幸雄氏の訃報

 五月十二日蜷川幸雄氏が亡くなった。享年八十歳。
 わたしが小中学生のころは、脇役としてテレビや映画でよく見かける顔だった。といってもその名前は知らず、のちに演出家として有名になったとき写真を見て、この人だったかとあらためて蜷川幸雄と知った。
 演出家としてはアングラ、小劇場運動の盛んだった六十年代後半にデビュー、やがて大劇場へ進出、日本を代表する演出家として海外でも高い評価を得た。
 演出した作品は日本の戯曲からシェークスピアまで延べおよそ三百にのぼる。そのなかのひとつに日劇ミュージックホールでの「’82エロティカル序曲」(昭和57年12月30日~昭和58年2月28日)の演出があり、浅茅けいこ、大山節子、ジャンボ久世、朝比奈れい花たちが出演している。写真はそのときの舞台写真。
 日比谷へ移転してからミュージックホールの集客力は落ちてしまったが、この公演は大ヒットで、マスコミの扱いも大きかった。
 稀代の演出家が一度だけ手がけたミュージックホールの舞台をささやかな記念として書きとめておくとともに、ご冥福をお祈りしたい。
a0248606_9422537.jpg
[PR]

# by yumenonokoriga | 2016-05-16 09:43 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

脚線美閑話(八)~「昼下がりの情事」のアンクレット

 「深夜の告白」のビリー・ワイルダー監督はのちに「昼下がりの情事」でもオードリー・ヘプバーンにアンクレットをつけさせていて、重要な小道具と考えていたのがよくわかる。
私立探偵クロード・シャバッス(モーリス・シュバリエ)の娘アリアーヌ・シャバッス(オードリー・ヘップバーン)は、父親のファイルからアメリカの大富豪のプレイボーイ、フランク・フラナガン(ゲイリー・クーパー)についての資料を盗み読み、自分の正体を隠して会いに行き、恋してしまう。
ア リアーヌはチェロを学ぶ音楽学校の生徒だ。経済的にもそれほど裕福ではない。しかし彼女はフラナガンとつきあうには自分も相応の階層にあると思わせなければならないと考えていて、ある日、彼女は父が客から預かったアーミンの毛皮のコートをひそかにチェロのケースに入れて持ち出し、それを羽織ってフラナガンの前に現れる。
 帰宅すると、待ち構えていた父がコートを没収し、そのとき、コートの預け主である夫婦に話題がおよび、夫がアンクレットをつけてスペイン旅行から帰った妻に激怒したといった話をする。その怒りから夫は妻に高価なコートなど無用だと探偵に預けたのだった。
 それを聞いたアリアーヌは自分のチェロのケースに付いているチェーンをアンクレットに仕立ててフラナガンに会いに行き、スペインでプレゼントされたプラチナのアンクレットなのと嘘をつく。
コートを預けた夫がどうして妻のアンクレットに激怒したのかについては説明されていないが、「足はセックスを支える柱であり、セックスへの『ローマへの道』」(丸尾長顕)つまり性に直結する部位の装身具は夫をひどく刺激したのである。
 「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」「昼下がりの情事」についてのおそるべき精緻な分析を通してビリー・ワイルダーを論じた『ビリー・ワイルダーのロマンティック・コメディ』(平凡社)の著者瀬川裕司は、ここにはワイルダーがアンクレットについて抱くイメージが示されているとして「彼はアンクレットを、普通の〈貞淑な妻〉なら身につけることのない、特別にセクシーなアクセサリーと考えているようだ」と述べている。
 フラナガンにとってアリアーヌは正体不明のなぞの女だ。ふつうに考えてこんな小娘がアーミン毛皮のコートを自分で買えるはずがない。くわえてスペインでプレゼントされたプラチナのアンクレットだ。
 ここで真に受けたフラナガンは嫉妬からこんなもの取ってしまえと言ってアリアーヌのアンクレットを引きちぎってしまう。たび重なる彼女の行動が疑惑と嫉妬心を増幅させていたところへアンクレットの刺激の強さがくわわりフラナガンはぶち切れてしまったのである。
 アリアーヌからすればつぎつぎと富豪のプレイボーイを夢中にさせる作戦に出て、意図した通りの成功をおさめた。しかし彼女にとって、アンクレットにこれほどまでの魔力があるのは想定外だった。
a0248606_10319.jpg
[PR]

# by yumenonokoriga | 2016-05-02 10:01 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

脚線美閑話(七)~アンクレット

 脚線美を彩る装飾品にアンクレットがある。
 アンクレットを知ったのはずいぶん昔に観た「深夜の告白」で、バーバラ・スタンウィックの脚にこれがつけられていた。ビリー・ワイルダーとレイモンド・チャンドラーが組んだフィルム・ノワールの古典は小道具でも強い印象を残している。
 ロサンゼルスの保険会社に勤務するウォルター・ネフ(フレッド・マクマレイ)は、顧客の実業家ディートリクスンの自宅で、美貌の後妻フィリス(バーバラ・スタンウィック)に出会い、やがて誘惑され不倫の関係に陥り、保険金目的での夫殺しに荷担してしまう。
 ここでアンクレットはバーバラ・スタンウィックの脚の美しさを強調していて、この装身具を光らせて階段を降りてくるフィリスにネフは魅了され最後は殺人を犯してしまう。
原作は『郵便配達は二度ベルを鳴らす』とおなじジェイムズ・M・ケインの『倍額保険』で、映画を知る以前に新潮文庫で読んでいたけれど女の脚の記述がどうなっていたのか記憶はない。新潮社さんぜひ復刊してください。
 フィリス・ディートリクスンという役柄は演じたバーバラ・スタンウィックが「ファンがわたしとフィリスを混同し、もうわたしを好きでなくなるんじゃないかと、心配だったの」と憂慮したほどの稀代の悪女だ。
 彼女の衣装デザインを担当したのはイデス・ヘッドで、のちに「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」のオードリー・ヘプバーン、「裏窓」のグレース・ケリーを担当したことでも知られる。このハリウッドの衣装デザインの第一人者は「深夜の告白」について「服はあまり目立ってはいけないし、安っぽすぎてもいけないんだけど、バーバラ・スタンウィックの身体の線を見せなくちゃならないの。彼女の脚はとてもきれいだった。誰の脚もーディートリッヒの脚でさえーあんなにきれいじゃないわ。(中略)スタンウィックはそんなに背が高くないのに、身体の割に脚が長くて、しかも形がきれいなの。どうすればその脚が引き立つか知っていたから、彼女は実際よりずっと脚が長いようなイメージを作りあげていたわ」と語っている。(シャーロット・チャンドラー、古賀弥生訳『ビリー・ワイルダー 生涯と作品』アルファ・ベータ)
 いっぽうビリー・ワイルダーはキャメロン・クロウとの対話『ワイルダーならどうする?』(宮本高晴訳キネマ旬報社)で「スタンウィックは頭の切れる女優だった。彼女のもちこんだあのカツラのことは質してみたが、あの女性にぴったりだった。ひと目でわかるいかにものカツラだからだ。それに、あのアンクレットーあの種の男と結婚する女がつけていそうな装身具だ。殺しに飢えているさまがありありだ」と述べている。
 こうしてバーバラ・スタンウィックのアンクレットが美脚にアクセントを添えたのはもちろんだが、同時に魅惑の悪女の装身具というイメージも鮮烈なものとなった。
a0248606_9255114.jpg
[PR]

# by yumenonokoriga | 2016-04-17 09:24 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

脚線美閑話(六)~「林檎の木の下で」

 「林檎の木の下で」という歌をご存じですか。一九三五年にエグバート・ヴァン・アルスタインという人によって作曲され、日本ではそのちょっとあとでディック・ミネの歌でヒットした。
林檎の木の下で明日また逢いましょう・・・・・・あかるく、ほがらかな歌詞とそのイメージにぴったりのかろやかなメロディ。灰田勝彦が歌ってヒットした「鈴懸の径」をジャズにアレンジした鈴木章治の慧眼はさすがだが、このアメリカの小唄をすぐさま日本の歌としたディック・ミネのそれも勝るとも劣らない。
はじめて聴いたのはいつだったかさだかではないけれど、そのときはディック・ミネが歌っていた。その後、「上海バンスキング」の挿入歌のひとつとして吉田日出子が歌うのを聴いていっそう好きになった。熊坂明のピアノトリオにクラリネットをくわえた伴奏で吉田日出子が歌ったヴァージョンは名演です。
ところで川端康成は『浅草紅団』で浅草の喚起するイメージとして、エロチシズム、スピード、ユーモア、ジャズ・ソング、女の足を挙げていて、久世光彦は『みんな夢の中』で、川畑康成を引用しながら、これらと「林檎の木の下で」とを結びつけている。
 この歌が巧みに採り入れられた小説に野口冨士男が一九五四年に発表した「夜の鏡」という短編がある。戦後、一年ちかく浅草のレビュー劇場でラインダンスの踊り子として出ていた葉子は、嫌気がさしてやめたのち、みずから決意して芸者に転ずる。ある夜、客が銚子を二本あけたところへ、女中が「お支度ができました」と告げる。葉子がその部屋へ向かおうと廊下の姿見に立ったとき、どこかのラジオからこの曲が流れてくる。彼女はこの歌に合わせてラインダンスを踊ったことがある。浅草のレビュー劇場にいたころのはかない思い出である。
 わたしには「林檎の木の下で」とラインダンスが結びつくイメージはなく、久世光彦が浅草のイメージとこの歌を結びつけた感覚が野口冨士男の花柳小説でなんとなく理解できたしだいであった。
a0248606_931760.jpg
[PR]

# by yumenonokoriga | 2016-04-03 09:29 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)

脚線美閑話(五)~「太刀魚のような脚」

 戦前の宝塚の黄金時代の幕開けとなったといわれる白井鉄造演出の「花詩集」が東京でも大評判になったのは昭和八年(一九三三年)の夏で、のちに評論家となった安田武は当時小学生で従姉妹たちが宝塚に熱を上げ、いわゆるヅカ熱に罹り、やがて自身も感染してしまって唱歌の時間に「甍の波と雲の波」の「鯉のぼり」を歌うのはよいが「橘かおる」のところでことさらに声を張り上げて先生に叱られたりしている。橘薫は当時の宝塚のスターだった。安田武はまた清純可憐派の櫻緋紗子や久美京子にも心ときめかせていたと書いている。
 脚線美は男にとってレビューの大きな魅力だった。エノケンが活躍したことでも知られる浅草の軽演劇団カジノ・フォーリーのスター梅園龍子について今日出海は「細い脚、太刀魚のような脚、それから嬉しそうな笑ひ」とその魅力を讃えている。榎本健一の夫人で、おなじくカジノ・フォーリーのスターだった花島喜世子も美しい脚と均整のとれたプロポーションが魅力だったと伝えられる。
 「太刀魚のような脚」とはなんともおどろきの表現であるが、舞台上の美しい脚線美は太刀魚どころではなく男の性を大きく刺激していただろう。ただしヅカ熱に罹っていたころの安田武は十歳をひとつかふたつ過ぎたばかりで、当時を振り返って、舞台で演じられる異国の男女の物語が虚構であるとおなじく彼の「性」もまだ「絵空事」だったのだろうと述べている。(『昭和・東京・私史』)
 そうだとしてもレビューという「絵空事」に触れた経験のある少年だったからこそ、前回述べたように、戦争前夜の時代にダンスホールから閉め出されたダンサーが床の雨水をタンゴのステップで広げているその脚線の美しさに心動かされたにちがいない。
a0248606_992682.jpg
[PR]

# by yumenonokoriga | 2016-03-17 09:07 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)