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日劇ミュージックホールは東大大学院!?

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 浅草フランス座といえばかつて渥美清をはじめ谷幹一、関敬六、長門勇といったコメディアンたちが活躍したストリップ劇場だ。また、井上ひさしが台本を書き、のちに北野武が修行を積んだ劇場でもある。いずれも映画やテレビの仕事に手の届かない日々をこの劇場で苦労を重ね、将来を夢見た。
 ストリップ興業に活気があった昭和三十年代はじめの浅草フランス座の位置づけについては井上ひさしの「渥美清と車寅次郎」を読むとよくわかる。初出は「オール讀物」一九九六年九月号。同年八月四日に亡くなった渥美清を追悼した一文で、『映画をたずねて 井上ひさし対談集』に収められている。
 それによれば俗に浅草フランス座はストリップ界の東京大学、おなじフランス座でも新宿フランス座は早稲田大学、池袋フランス座は立教大学、また浅草ロック座は日本大学ということになっている。新宿と池袋のフランス座は近所の大学を取って付けたものだろう。浅草フランス座の格の高さが窺われる。
 大学があれば高校もあって、浅草の百万弗劇場、美人座、浅草座あるいは横浜セントラルといった東京周辺の小屋がその位置を占める。もとより大学を卒業すればその先があり、そこのところを井上ひさしはこんなふうに書いている。
〈「大学」卒業後にもそれなりの進路があって、丸の内の日劇ミュージックホールが東大大学院でしょうか。ここを経て、日劇の「春の踊り」や「夏の踊り」に出演すると、いわば大蔵省へ入省したようなもの。さらにここから映画に出るとか、そのころ仕事を始めたテレビに行くとか(中略)一人前の喜劇役者になるには、生の舞台で、それも厳しい観客の前で、長い間、修行をしなければならなかった。〉
 浅草から日劇、そこから映画、テレビに進出するというのがコメディアンの出世の階梯であり、一九六0年代後半頃までの喜劇役者のステイタスだった。
 深沢七郎の『千秋楽』に、師匠の代役としてはじめてミュージックホールに出演するドンチョーという若いコメディアンが、この劇場は狭く、入場人員も少ないので出演料のことより出演できるということのほうが問題なのだと心に思うくだりがある。小説が書かれた六十年代前半はいまよりずっと東大大学院のエリート性は高かったから、檜舞台に立つドンチョーの得意もそこを加味して想像してやらなければならないだろう。

by yumenonokoriga | 2012-01-01 01:09 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)