2012年 01月 30日
『楢山節考』出版記念祝賀会
ヌード劇場での出版記念会は世間の注目を惹きやすく、中央公論社が宣伝を兼ねて企画した。思いあわされるのは文化勲章を受章した永井荷風を浅草ロック座の踊り子たちがお祝いした事例くらいのものだろう。一九五二年の十一月五日夜、公園裏の洋食店大阪屋に招かれた荷風は踊り子たちに囲まれ祝福を受けた。秋庭太郎『考証永井荷風』によると「先生はストリップ嬢からおめでとう、勲章バンザイを浴びた」云々と報道されたという。
『楢山節考』の出版記念祝賀会については講談社の「小説現代」「群像」の編集長や文芸局長等を歴任した大村彦次郎の『文壇挽歌物語』に当夜のことが記されている。
定員四百名の会場は満員で立錐の余地もなかった。司会を務めたのは丸尾長顕だった。中央公論社の嶋中鵬二と深沢七郎の挨拶のあと、正宗白鳥、つづいて選考委員の伊藤整、武田泰淳、三島由紀夫が祝辞を述べた。
実演の部に入ると、泉右徳衛門の振付による舞踊「楢山節考」が披露され、つづいて伊藤久男が深沢の作詞・作曲による「楢山節」を、さらに島倉千代子が「つんぼゆすりの唄」を歌った。いずれも深沢自身がギターの伴奏を務めている。
大詰めは「M・Hの神武たち」というミュージカル・ショウで、おおぜいの踊り子やミュージシャンが友情出演した華やかな舞台だったという。ここで深沢はヌードダンサーの伊吹まりたちからお祝いのキスを浴び、満場の喝采を博した。深沢はこの年の「中央公論」新年号に「東北の神武(ずんむ)たち」を発表しているから、フィナーレの演目はこの新作を意識したものだった。
『文壇挽歌物語』にはこの夜、この劇場での井伏鱒二のユーモラスな逸事が記されている。
〈その晩、井伏鱒二は会場に遅れて入り、暗闇の中を案内されるままに最前列の席に坐った。そのあと客の大半がロビーのパーティ会場に移ったのも気が付かぬまま熱心に舞台を注視していた。そのため勝手の分らぬ踊り子たちは井伏ひとりのために暫く踊り続けなければならぬ破目になった〉。