夕雨子

a0248606_9103347.jpg 劇評家で作家、エッセイスト、演出家でもあった戸板康二にはしょっちゅう酒席をおなじくする十数名の仲間がいた。一九八四年に刊行された戸板の『思い出す顔』に収める「酒席の紳士淑女」によると仲間内として小田島雄志、清水邦夫、大河内豪といった名前が見えている。
 四谷の「F」が溜まり場で、丸の内の劇場からの交通上の便利さがあって、この店に行く機会が多くなったという。六本木では「夕雨子」や「ザ・クレドール」が行きつけの店だった。
 吉村平吉『浅草のみだおれ』に、高見順の代表作「如何なる星の下に」の主要な作中人物「美佐子」のモデルだった元踊り子さんが七十七歳で亡くなったことが書かれてある。
〈昭和十五年の七月、浅草楽天地(現在の花やしき)内の劇場で、新しく結成された楽天地ショウによって「如何なる星の下に」が劇化上演され、わたしはむろん早速観に出かけた。そこで美佐子のモデルだった故人は、当の”美佐子”を演じたのだった。〉
 「美佐子」には浅草のレビューの文芸部に籍のある夫がいて、戦争中に胸を悪くして早逝した。高見順のお弟子さん的存在だったという。
〈彼女と早死したご亭主との間に娘さんがいて、名付け親は高見先生だという。その娘さんは成長してかなり名のあるダンサーになったのだが、いつだったか、わたしに父親の面影を見るようだといってくれたことがある。〉
 この「成長してかなり名のあるダンサーになった」娘さんが日劇ミュージックホールの水原まゆみにほかならない。いっぽうで彼女は戸板康二がよく行っていた「夕雨子」という店を六本木に開いていた。本名の井上悠子にもとづく命名だった。
 母親の告別式では吉村平吉がおわかれの辞を述べた。戸板康二と吉村平吉とは「夕雨子」で出会って、いっしょにお酒をのんだことがあったのだろうか。
 『浅草のみだおれ』は一九九七年の刊行だがいろんな機会に書かれた短文の初出が示されていないため「美佐子」がいつ亡くなったのか、この本からはわからない。娘さんの「夕雨子」も二00三年八月十六日不帰の客となった。一九四八年の生まれだからあまりに早い死だった。
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by yumenonokoriga | 2012-02-15 06:43 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)