橋本与志夫

a0248606_10231748.jpg  一九八四年(昭和五十九年)日比谷の日劇ミュージックホール閉場の際にはNHKが特別番組を組んだ。乳房もあらわな舞台の様子を放映したのだから大英断だった。ジプシー・ローズのマネージャーだった正邦乙彦や演劇評論家橋本与志夫が出演してインタビューに応じていた。三十二年にわたるミュージックホールのすべての公演を見たと紹介のあった橋本が、閉鎖は残念、惜しまれるとは口にせず、「もう、いいよ」といっていたのが印象的で、ダンサー、コメディアン、裏方さんを思う慈父のような表情だった。
 一九七二年(昭和四十七年)の末から翌新春にかけてのミュージックホール開場二十周年記念「すべて乳房からはじまる」は、この劇場の大スターだった小浜奈々子の引退公演ともなった舞台だったが、この公演のパンフレットに橋本の「観客席からの二十年!」と題する一文が寄せられている。
 一公演二カ月として一年に六回、二十年で百二十回に及ぶ公演をほとんど落さず丹念に見続け、なかでも開場した昭和二十七年の九月から十一月にかけての公演「恋愛15の愉しみ」のときは十数回も客席の後方に立って見た、それほどたのしさに満ち溢れた舞台だったと回顧談を語っている。評論家として舞台のたのしさを伝えたい思いが十数回の観劇となったのだろうが、はじめ読んだときには、うらやましい人生があるなあと思ったものだった。
 演劇評論といっても橋本は、レビュー、ストリップ、ミュージカルが中心で、とりわけ「特出し」「マナ板」が猖獗を極める以前のストリップについて語れる評論家はこの人をおいてほかにいないといってよい存在だった。氏が愛してやまなかった日劇ダンシングチーム(NDT)、松竹歌劇団(SKD)、日劇ミュージックホールはすべて消滅してしまったから、もうこうした評論家があらわれる可能性はない。それゆえに、生涯にわたって見つづけたショービジネスの世界をもっともっと語ってほしかったと悔やまれてならない。命日は一九九八年五月二十一日。享年八十二歳。 
さいわい昭和二十年代から三十年代にかけてのストリップについては『おお!ストリップ』と『ヌードさん』が、またNDTについてはその全公演を記録した大著であり、遺著となった『日劇レビュー史』が残されている。SKDについては未見ながら『松竹少女歌劇物語』(南風書房、一九五0年)があるという。いまとなってはこれらをつうじて橋本与志夫の夢の思い出にめぐり会うほかない。
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by yumenonokoriga | 2012-02-20 06:44 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)