颯子のモデル

a0248606_13264519.jpg 谷崎潤一郎晩年の傑作『瘋癲老人日記』の颯子のモデルについて、中公文庫版『瘋癲老人日記』に収める千葉俊二「『瘋癲老人日記』の舞台裏」には「颯子という女性像は、千萬子さんをベースに、当時谷崎の周辺にあったお気に入りの複数の女性たちのイメージが合成されたものだった」とある。
 千萬子さんというのは渡辺千萬子、つまり谷崎潤一郎夫人松子さんと前夫とのあいだの実子渡辺清治氏の夫人である。
 小説の老人が颯子に寄せる思いと見まがうほどに谷崎は千萬子を気に入っていたから彼女が颯子のモデル、とする俗説がある。けれど、彼女の挙止や生活感覚が小説に採り入れられているとしてもモデルといったのでは正確を欠くだろう。
颯子はNDTでダンサーをしていたとの設定だが、千萬子が結婚したのは一九五一年(昭和二十六年)五月、二十一歳、同志社大学英文科の学生だった。上背があり、脚線の美しい女性からレビューの踊り子という連想が谷崎のなかではたらいた一面はあっただろう。そのいっぽうに「当時谷崎の周辺にあったお気に入りの複数の女性たち」のなかに踊り子や女優の姿があって、彼女たちと千萬子さんが「合成」されていったというのが本当のところと思われる。
 昭和二十六年から谷崎が死去する四十年にかけて、谷崎から千萬子あて二百五通、千萬子から谷崎あて八十八通の書簡が現存していて『谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡』にはそれらのほとんどが収録されている。「『瘋癲老人日記』の舞台裏」もこれを承けて執筆されたもので、おそらくこの書簡集は谷崎文学の研究者やファンにとってはもとより、「作品」の質からしても日本文学史上の「事件」であるといえるのではないか。それと、日劇ミュージックホールが『瘋癲老人日記』の形成にあたって、作者に陰に陽にはたらきかけているのが具体的に確認できるという点でも貴重である。
 「お気に入りの複数の女性たち」については谷崎潤一郎の助手として『源氏物語』の改訳を手伝い、病により執筆に支障が出た谷崎のために作品あるいは書簡の代筆を行った伊吹和子は『われよりほかに』で「当時の日劇でその名を謳われ、先生も大のお気に入りであった春川ますみさん(写真)や、新進の女優であった炎加世子(中略)といった人々が意識されていたと思われる」と記している。
[PR]

by yumenonokoriga | 2012-03-01 06:47 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(2)

Commented by 出会いはグリーにおまかせ!! at 2012-09-10 01:59 x
グリーングリーン!!きゃほきゃほわはははは。CMの長●大好きなんだけど!!
Commented by yumenonokoriga at 2012-09-10 11:13
☆出会いはグリーにおまかせ!!さん
きょう9月10日アップした記事で本コラム50回を数えました。これからもよろしくお願いします。