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『落花流水』のこと

a0248606_9413129.jpg 谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』の颯子についてはモデルと目された渡辺千萬子自身が『落花流水』のなかで語っている。
 二00七年に上梓された本書で著者は谷崎家の嫁として長いあいだ封印してきたことがらを赤裸々に綴った。たとえば谷崎潤一郎夫人の松子が「千萬子に谷崎の愛を奪われた」と憤慨していると谷崎家出入の中央公論社の社員が千萬子に伝えて来たとか、谷崎の態度に松子は夫と千萬子とのあいだに関係があると誤解していたとか、いずれも外からは窺えない事情で、谷崎の色好み、女性崇拝が嫁と姑のあいだをむつかしくしていたのだった。
 松子が疑ったいう谷崎との関係。それについて千萬子は四十四歳の年の開きは問題なかったが谷崎に男性を感じたことはなかったという。彼女からすれば「熱海の町とか、東京のミュージックホールとかへ、度々出掛けることがありました。谷崎はステッキをついてゆっくり歩いていましたが、危ないからと思って手を取ることさえしませんでした。ですから手を繋いだこともない」のだから邪推もいいところだった。
 谷崎の千萬子宛て昭和三十四年一月二十日の手紙には「僕は君のスラツクス姿が大好きです、あの姿を見ると何か文学的感興がわきます。そのうちきつとあれのインスピレーションで小説を書きます」とある。『瘋癲老人日記』の出版は三十七年だから、この小説の執筆にあたっては千萬子が谷崎に「文学的感興」「インスピレーション」をもたらしていたことがわかる。
 千萬子は子育て中だったからいつも動きやすいスラックスを穿いていた。颯子が着るエッフェル塔の柄のTシャツも千萬子が着けていたものだった。自身これは自分だなと思う情景も多々あるけれど、それでも千萬子は、自分が颯子のモデルであると思ったことはないと明言する。
 千萬子は目の前でひれ伏す谷崎に頭を踏んでくれといわれて踏んだ。このときの「頭」と「足の裏」が義父と嫁との唯一の肉体的接触だった。そして谷崎は釈迦の足跡を石に刻んで信仰の対象とした「仏足石」を真似て千萬子の足形をとり自身の「仏足石」とした。いずれも小説にもある描写である。ただし谷崎が「仏足石」を得たのは昭和三十八年だからすでに『瘋癲老人日記』は刊行されている。小説を事実が追っかけていたのだった。

by yumenonokoriga | 2012-03-05 05:28 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)