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マルセ太郎の形態模写

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 マルセ太郎(1933-2001)ははじめ寄席やキャバレーの舞台で漫談とパントマイムを演じ、なかでもサルの形態模写が評判を呼んだ。一九八0年代以降では渋谷ジァン・ジァンでの映画再現芸「スクリーンのない映画館」、一本の映画を一人で演じ語り下ろすパフォーマンスが高い評価を受けた。晩年には人生の深い洞察にもとづきながらそれを喜劇として表現した「マルセ喜劇」が好評を博した。
 この人はデビューが日劇ミュージックホールで、ここでの回想を『芸人魂』に残してくれている。初舞台は一九五七年(昭和三十二年)の「メケメケよろめけ」で、そのとき東宝芸能社から「マルセル・タロー」の名前を頂戴した。全部カタカナの名前はいやだったが、それよりミュージックホールに出られることの感激が大きかったという。このときの看板ヌードスターは小浜奈々子で、彼女についてこんなふうに述べている。
〈僕はひそかに彼女のことを、「せり上がりの名人」と呼んでいた。やや太り気味で、踊りも上手いひとではなかったが、ポーズをとって、せりから上がってくるときの微笑は絶品だった。あたかも女神の登場を思わせ、丸の内界隈のサラリーマンたちの間で、圧倒的な人気を呼んでいた。〉
 『芸人魂』におけるミュージックホール回想の多くは泉和助のことについやされており、いかに優れたコメディアンであったか、タップダンサー、殺陣師、マジック、コント、ドラム、拳銃さばきなど驚くべき多芸の持ち主であったかが語られている。コントでは女性専用のトイレに入っていた男が、女性に見つかって咎められ、そこへ警官が通りかかるという設定での押し問答、あるいは禁煙の場所で煙草を吸っている男とそれを注意する警官とのやりとりが具体的に述べられている。泉和助のコントは映像に残されていないだろうから、これらはその舞台を知るせめてものよすがとなろう。
 デビューから十年近く経ってマルセ太郎はミュージックホールでサルを演じていたところ、ある日、泉和助が楽屋を訪れた。恐縮するマルセを制して、和っちゃん先生は「まず脱帽しておく」とハンチングを取り、頭を下げ、さらに「君のサルは凄い。榎本のおやじも及ばない。絶品だ」といった。榎本のおやじはもちろん泉和助の師匠である榎本健一、サルのものまねを得意芸のひとつとしていた。
僕はラッキーな芸人だ、誰が和っちゃん先生からこれほどの讃辞をかち得たか・・・・・・マルセ太郎の自負であり、その芸は泉和助折り紙つきの絶品だった。

by yumenonokoriga | 2012-07-05 10:03 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)