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「救世主」小川久美

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  日劇ミュージックホールが開場して五年目にあたる一九五六年(昭和三十一年)と翌年の公演リストを見ると、伊吹まり代(まり改め)がほとんどの舞台でトップを務めており、その存在の大きさがよくわかる。昭和三十一年の六回の公演ではすべて、翌年の六回では五回、彼女の名前がトップにきている。そのあとにメリー・松原、R.テンプル、奈良あけみ、桜洋子、ジプシー・ローズ、春川ますみといったダンサーがつづいている。
 その伊吹が昭和三十三年の初公演「日本髪の恋愛選手」を最後に引退を表明した。この前後には伊吹につづいていたダンサーたちの名前が公演リストから消えている。つまり世代交代期に入ったわけだ。当時の状況は丸尾長顕によると「傘下に集っていたスターたちが続々とやめていった」「ほんとうに一人も残らなくなってしまった」「興行成績は眼に見えて悪くなっていった」というものでここにミュージックホールは第一期の終焉を迎えたのだった。(『日劇ミュージックホールのすべて』)
こうしたなか短大卒業のインテリ・ヌード小川久美のデビューが評判を呼んだ。清潔な、知的な感じが舞台に新風を吹き込んだという。初舞台は伊吹まり代の引退公演「日本髪の恋愛選手」につづく「これはカックン!」で、『the Nichigeki Music Hall』の公演リストにはつぎの「女は悪魔を飼っている」ではじめてその名が見えている。そのあと二年半ほどで結婚した小川久美の舞台は長くはなかったが、丸尾は「インテリ・ヌードの威力は、第二の黄金期を築く基礎になった。私は、第一期の伊吹まりと共に、日劇M・Hにとっては恩人だと信じている」と述べて彼女を讃えている。伊吹まりと肩を並べるほどの貢献度というのだから、彼女の出現が窮状にあった劇場にどれほど大きな救いとなったかが窺われよう。まさに「救世主」の出現だった。
 小川久美については本ブログにコメントを寄せていただいたみどりやま様が貴重な情報を提供してくださっているので一部を紹介しておきたい。
〈昭和三十三年客数の低迷に悩んでいたNMHに客を取り戻した救世主と言われた彼女、新潟出身、山脇学園卒業、ラジオ東京編成局にいる彼女をNMH運営委員加藤忠松が口説き落とし、いきなりスター扱いでデビューさせた。小川久美は新潟生まれらしく色白で他のダンサーとは一味違う清潔感もあって大いに人気を集めた。彼女のお陰で客数は増加、影響された新人ダンサーも増加・・・・・・〉
(写真は『日劇ミュージックホールのすべて』より。左小川久美、右小浜奈々子)

by yumenonokoriga | 2012-07-15 10:10 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)