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小野佐世男

a0248606_9493067.jpg 日劇ミュージックホールのポスター、看板を描いた画家に小野佐世男がいた。一九0五年(明治三十八年)二月横浜に生まれ、赤坂中学を終えたのち上野美術学校、現在の東京芸術大学に学んだ。在学中から雑誌の表紙にあでやかなモダンガールの肖像を描いていたという。
 たとえば中川一政や和田誠、東海林さだおが、そうであるように小野も絵とともに文筆をよくした。女の絵姿を描くしあわせをいつも感じていると言うこの粋人はしばしばエロティックな絵に女のことを文章にして添えた。豊満な肉体を和服につつんだマダムがカウンターの前に立っている姿の絵には、とある銀座のバーのマダムは昨夜の飲み過ぎで朝には頭が重かったけれど、すがすがしい太陽の光に、朝風呂で肌を綺麗にぬぐって生まれかわったようにいきいきとなり、たそがれ時には店の掃除も終え「マダムのきめの細かい豊満な肉体が、ネオンの光とともにさえわたってきた」といった文章を添える、といった具合だ。
 永井龍男は『へっぽこ先生その他』にある「小野佐世男」に、売り出した当時の画風は、竹久夢二の次は小野の描く女だと思わせる特徴があり、着物を着た豊満な女にエロではない一種のエキゾティックな色気があって、粋な風情すらあったと書いている。同書には「晩年はジャーナリズムの急襲をうけて、女の肢体を過度に露出させるような仕事もした」とあり、この「過度に露出」というのがミュージックホール関係の仕事を指しているのだろう。
 小野は一九五四年(昭和二十九年)に五十前の若さで亡くなった。この年二月一日、マリリン・モンローが夫のジョー・ディマジオとともに来日した。この日、小野はある週刊誌の依頼で羽田空港に到着するモンローを訪ね、会見記を書くことになっていた。モンロー夫妻を乗せたパンアメリカン機が羽田に着いたのは午後八時三分。もっと早く着く予定だったが、到着が遅れた。小野はパンナム機の延着を知って時間をつぶすためにミュージックホールへ立ち寄り楽屋を訪ねようとして階段を上る途中心臓の発作を起こし、救急車で近くの病院へ運ばれたがそれきりになってしまったのだった。命日は二月一日。
 マリリン・モンローとの会見を前にしてのミュージックホール、この取り合わせは絢爛にして豪華だが、その高ぶりが発作を呼んだのだろうか。若すぎた死が悔やまれる。

by yumenonokoriga | 2012-09-15 09:50 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(2)

Commented by 秋山薫 at 2012-09-15 21:48 x
朱雀さぎりの記事がランキングの3件を締め私もうれしいです。もしまた朱雀さぎり関係の記事を書いていただければ幸いです。
Commented by yumenonokoriga at 2012-09-16 06:56
秋山様
コメントありがとうございます。励みになります。資料をいろいろ捜して書くことができたらと、念じています。