小浜奈々子と古今亭志ん生

a0248606_10574883.jpg 三浦哲郎の小説『夕雨子』のモデルだった水原まゆみが日劇ミュージックホールにデビューしたのは一九七一年(昭和四十六年)一・二月公演「甘美なるウーマンリブ」の舞台だった。そのときのトップは小浜奈々子が務めていて、水原まゆみは自著『男たちへの花束』で楽屋における小浜の姿を書きとめている。
 ある踊り子が衣装のままトイレに入ったのを知った小浜奈々子が「ダメです」と叱るとトイレから「すいません」と小さな声がした。水原まゆみはその剣幕に、自分が叱られたような気がして楽屋の隅にうずくまってしまったという。
〈「あなた、お客さまの前で晴れ着を見てもらうのですよ。晴れ着のままトイレに入るなんていけません。前もって楽屋着のときすませておくのが常識です。
「気をつけます」〉
先輩の教えは絶対で、言っていることも理に叶っているのだから、叱られる側はぐうの音も出ない。衣装からトイレの臭いでもすれば艶消しもいいところだ。
 小浜奈々子のエピソードを読むと古今亭志ん生の話を思い出す。
 古今亭志ん生は高座を前にしていったん白足袋をはくと絶対にトイレに行かなかったし、高座の扇子は噺のなかで必要に応じて仕種として広げたりあおいだりしても、楽屋ではどんなに暑いときでも広げたりあおいだりはしなかったという。語るのは息子で弟子の古今亭志ん朝師匠。その対談集『世の中ついでに生きてたい』に収める江國滋との対談「落語も人物を描かなきゃ・・・・・・」に見えている。ついでながらここで志ん朝さんはトイレを「はばかり」と言っている。
 もっとも志ん朝さんがこれを語った一九九四年の時点で雰囲気はずいぶんと変化している。白足袋のままでのトイレ、高座の扇子を楽屋で使うといったことは「いまはほかの人を見てると、かなり偉い人でもみんなやってんです」といった具合だ。
 ミュージックホールでも小浜奈々子の引退とともに、先輩がガミガミいうと、ここだけが仕事場じゃないわとかんたんにやめてしまったりするものだから、いつしか誰もうるさいことは口にしなくなってしまったという。
 ミュージックホール史上最高のスターダンサーの舞台への、そして稀代の噺家の高座への姿勢は通じ合っている。昔気質の芸人の心意気がうれしく、寿ぐに足る。
(小浜奈々子の写真は『日劇ミュージックホールのすべて』より)
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by yumenonokoriga | 2012-09-25 10:00 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)