「楽屋のぞ記」番外編

a0248606_102487.jpg 日劇ミュージックホールの楽屋についてのルポルタージュはないものかとあれこれ探してみたけれどこれといった文献にめぐり会わない。せめて楽屋の夢のよすがにと番外編を記してみた。
 昭和の二十年代を捉えた林忠彦の写真集『カストリ時代』に国際劇場の楽屋でのSKDの踊り子たちの写真が収められている。写真家は「国際劇場の楽屋には、当時、僕しか入れてくれなかったはずで、内部の写真は非常に珍しいものだ」と述べている。松竹の宣伝部の人と親しく、信用があったから楽屋に出入りできたという。
 林忠彦とおなじ幸福を味わったひとりに脚本家の山田太一がいる。一九三四年(昭和九年)浅草生まれ、それも国際劇場と大通りをへだてて向き合った一角で、敗戦の前年に強制疎開で家を取り壊され引っ越すまでここで暮らした。劇場前の広場が遊び場だった。疎開先で中学生となった氏は、戦後、焼跡のなかに国際劇場を見る。汚れてはいたものの壊れてはいなかった。ただしSKDのショーを見るのは数年後、大学生になってからだった。
 大学卒業をひかえても就職がままならず、そんなとき松竹の助監督の試験を受けて合格した。卒業して四月に会社へ行くと、人事課の人が、当社の主要な劇場を案内するといい、同期入社の六人の仲間と、新橋演舞場、歌舞伎座、ピカデリーと見てあるき、最後に国際劇場に案内された。そのときの浮き浮きした気持を語った氏の「故郷の劇場」(『路上のボールペン』所収)は読む者の気持をも高ぶらせずにはおかない。
〈楽屋から入り、舞台裏を案内される。「こんなところを見られるなんて」と、私は漸く自分の幸運に気づき、国際劇場が自分を呼び寄せてくれたような気がした。あれこれ大道具などを見ているうちに、次第に動悸も激しくなるような具合でいると「では、これから踊り子さんの部屋を案内します」というのである。「ウワッ、こんな幸福があっていいのか」と私は、目もくらむような気持で、楽屋の狭くて汚い階段を、よろけるようにのぼって行ったのであった。〉
 ところでこの「故郷の劇場」は取り壊された国際劇場へのオマージュとして書かれたもので、著者は「とりこわされた国際劇場の跡を見る勇気が、いまの私にはない」と書いている。
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by yumenonokoriga | 2012-10-15 10:05 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)