「楽屋のぞ記」番外編余話

a0248606_1144833.jpg 日劇ミュージックホールの楽屋を偲ぶよすがに番外編として国際劇場の楽屋に思いをはせてみたが、せっかくの機会なのでもう一度あの劇場の楽屋をのぞいてみよう。
 「男はつらいよ」第二十一作「寅次郎わが道をゆく」のマドンナは木の実ナナ。本編にはSKDが応援出演していて彼女はレビューの踊り子の役どころだ。舞台風景とともに国際劇場の楽屋や裏口が映されているのが、劇場がなくなったいまとなっては貴重な資料となっている。
 国際劇場が取り壊されたのは一九八二年(昭和五十七年)だからはや三十年になる。跡地にはホテルが建ち、わずかに国際通りという名に劇場の名残をとどめている。「男はつらいよ・寅次郎わが道をゆく」は夢の跡をかいま見せてくれたというわけだ。
 元読売新聞の記者だった橋本敏男『荷風のいた街』に、中学生のころ同級生と国際劇場の楽屋を訪ねるくだりがある。その友人のおじさんが松竹歌劇団の囃子方に属して三味線を弾いていたからで、中学生の目に映じた昭和二十五六年当時の劇場風景は「廊下に出ると、雑然とした通路を網タイツを履き、腰に大きな鳥の羽根を付けた踊り子が忙しげに往き来していた。肌も露に見えるその衣装に、私たちは目のやり場に戸惑うのであった」というものだった。
 むかし大和の国で仙人の修行をして空を飛べるようになった男が、ある日若い女の着物をかき上げ、白い脛を出して洗濯している姿を見て落っこちてしまったという。『今昔物語』にある久米の仙人のはなしで、『徒然草』にも採り上げられている。脛というのは膝から足首までの部分なので網タイツ姿の踊り子とは較ぶべくもないけれど仙人でもこうだから、劇場の客席ではじめて間近に観たラインダンスが中学生には「やけにまぶし」く、楽屋風景に「目のやり場に戸惑う」のは当然であった。大学を卒業して間もなくの山田太一でさえ楽屋につづく狭くて汚い階段を目もくらむような気持で、よろけるようにのぼって行ったというのだから。
 といったところで日劇ミュージックホールの楽屋に案内されたりしたら久米の仙人ならぬ当方はどうなっていただろう。 
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by yumenonokoriga | 2012-10-20 11:51 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)