『いまむかし東京町歩き』

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 さきごろ刊行された川本三郎さんの『いまむかし東京町歩き』(毎日新聞社、二0一二年八月)は文学作品や絵画、映画のなかで語られ、描かれた往時の東京をたどりながら、かつての都市風景を跡付けたエッセイで、恋文横町から毎日新聞社まで九十あまりの土地や建物が採り上げられており、なかに日劇ミュージックホールの項目があるのがうれしい。
せっかくだから資料の補充あるいは註釈めいたものを書いておこう。
〈当初、小林一三は天下の東宝がヌードとは、と大反対したが、結局は時代の流れに逆らえなかった。〉
 日劇小劇場のストリップ興行は好成績を挙げていたが東宝阪急グループの総帥小林一三はこの事態を苦々しく見ていた。いわく「俺は丸の内で女郎屋をやる気持はない」。この意向を体して日小問題に対応したのが小林の長男富佐雄で、劇場はけっこう儲かっているから閉鎖するにはしのびない、そこで彼はショーと劇場のリニューアルに着手する。相談相手としたのが父一三の弟子で子分で旧友でもある丸尾長顕だった。こうして日劇小劇場は閉鎖されミュージックホール誕生に至った。日劇小劇場最後の日となったのは一九五二年(昭和二十七年)一月三十一日、新聞には「裸の歴史に涙の別れ・日劇小劇場最後の夜」「丸の内の涙・さよならハダカ」といった見出しがあり、千穐楽にはヒロセ元美、マヤ鮎川などが時折り涙を拭っていたという。
〈運営委員を務めた演出家の丸尾長顕編の『日劇ミュージックホールのすべて』によれば、こけら落としの舞台では小林一三に気を使ってヌードは出さなかったため客席は閑古鳥が鳴いてしまった。そこで丸尾は急遽ヌードを復活させ、これが成功した。〉
 昭和二十七年三月十五日にはじまるこけら落とし公演は「東京のイヴ」。越路吹雪を主演に迎え、ほかにジャズの水島早苗、バレエの松山樹子、NDTの福田富子など錚々たるメンバーが顔をそろえた。美術スタッフには岡本太郎の名もある。
 四百人定員の劇場で一日三回公演だから千二百人の動員が目標のところへ二百人しか入らなかった。ハダカのない娯楽の殿堂は商売にならず、ひと月公演の予定を半月で打ち切り、再度閉場して二回目の公演で再起を期すこととなった。
 四月二十五日ミュージックホールは「ラブ・ハーバー」で再出発した。「ヌードの殿堂」の実質的なはじまりだった。
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by yumenonokoriga | 2012-11-30 09:43 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)