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夢の残り香~日劇ミュージックホールの文学誌

日比谷のミュージックホール体験記

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 日本劇場でのミュージックホール最終公演「新たなる愛の旅立ち」の千穐楽は一九八一年(昭和五十六年)一月二十六日、東京宝塚劇場に移っての新装開場記念公演「華麗なる愛のプレリュード」の初日は三月六日だった。
 ファンとしてはミュージックホールの存続に安堵したが、新装なった劇場での初公演を見て、これはすこしまずいなと感じた。舞台はあいかわらず魅力的だった。このときのトップは朱雀さぎり、そして岬マコ、大山節子、ジャンボ久世、明日香ミチとつづき、ゲストとして夏木マリが錦上花を添えていた。ところが劇場の構造がまことにまずい。幕が開く前に一般席に腰を下ろしたところ、一瞬にしてこれでは舞台全体が眺められないと見て、すぐに入場口へ戻り、差額の金を出して指定席への「お直り」を申し出た。
 新旧を問わずミュージックホールはいわゆるデベソという円形の舞台が突き出ており、それを取り巻くように座席が設けられていた。両端に行くに従い椅子の角度は舞台中央に向くようになるから、どうしても舞台全体を眺めにくくなるのはやむをえない。問題はその角度で、有楽町のときは一般席であってもゆるやかなものだったので中央の指定席でなくても全体を見渡すのにさほど不自由はしなかった。ばあいによっては正面から立ち見というテもあった。それに対し日比谷の劇場の一般席は角度が付きすぎて、たとえば舞台に向かって左に坐ると視線は舞台の右側に行ったままで全体をとらえるのに難渋してしまう。立ち見のスペースもない。手狭であり、一般席からは舞台全体をとらえにくいという構造的な欠陥があった。
 有楽町当時、一度だけ指定席に坐ったおぼえがある。何かで金回りがよかったのだろう。ところが日比谷では毎度指定席で見ざるをえなかった。劇場のつくりと余計にお金がかかるという事情からくるまずさがあった。わたしのような固定客でもこれだから、やはりこの劇場の引っ越しには無理があったと判断せざるをえない。
 くわえて日比谷という地の利のなさが客離れにつながった。ファンは劇場がどこにあろうと見に出かけるとしても、通りすがりに入場する客も多く、その点でどうしても不利にならざるをえなかった。
by yumenonokoriga | 2012-12-10 09:58 | 日劇ミュージックホールの文学誌

いまはない日劇ミュージックホールをめぐるコラムです。

by yumenonokoriga
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