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夢の残り香~日劇ミュージックホールの文学誌

『私は宿命に唾をかけたい』

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 関根庸子『私は宿命に唾をかけたい』は丸尾長顕が光文社に売込み、同社の種村季弘が担当し、一九五九年六月に刊行された。日劇ミュージックホールのダンサーの書いた本は女版深沢七郎の効果もあってか全二十章二百三十頁余りの本の売れ行きはけっこうよく当時の金額で印税は百五十万円にのぼったとか。
 本書の著者紹介には「昭和八年東京の生まれ、武蔵野高校を中退ののち、伊藤道郎舞踊研究所へ通う。マネキン、ファッション・モデルなどを経て、朱里あけみ舞踊団にはいり各地を巡業、ハワイのナイト・クラブにも出演した。帰国後、駐留軍関係やキャバレーで踊るうち、みとめられて日劇ミュージックホールに出演」とある。
 本書はこうした著者のあゆみ、一人の若い女が戦後をどう生きてきたかを素材とした自伝小説だ。残念ながらミュージックホールの舞台に上がる前で筆は止めてあるから話題は劇場に及んでいない。
 「わたし」洋子は米軍朝霞キャンプにあるコインランドリーにアルバイトとして勤めている。兄をつぎつぎと病気で奪われ、最後に残った長兄も戦病死し、七十に近い父のたわしの行商で得るわずかな収入が生活の支えだ。絶望した母はせめて迷惑をかけずに死にたいと一円を惜しんで貯金している。はじめて稼いだアルバイト代の半分を家に入れたもののすべて質屋の利子や家賃の返済に充てられた。こんな苦しい生活環境のなかにあって「わたし」は「生き抜くことが、どんなにむずかしいか」「でもわたしは生きてゆかねばならないのだ」「惨めな生き方をしてはならないのだ」と思う。
 下着モデルをしてみないかとの誘いがあった。勧誘する男の好色な表情がいやでたまらない。けれど家では両親の金銭がらみの喧嘩が絶え間なく、苦境から抜け出るためにはやむをえない。ショーの稽古に行かされた先が舞踊研究所だった。
ショー当日の「わたし」のコルセットとブラジャーをつけただけの姿は観客をあっと驚かせ、新聞にも取り上げられた。こうして得た日当が四千円。
 やがて「わたし」はランドリーをやめてファッションモデルをめざすがなかなか埒があかず、つなぎに絵のヌードモデルとなる。
 このかん米軍所属のアメリカ人との関係はつづいていたが、やがて妊娠、そして中絶。
 「でも、わたしは生きているー」。
by yumenonokoriga | 2012-12-20 09:35 | 日劇ミュージックホールの文学誌

いまはない日劇ミュージックホールをめぐるコラムです。

by yumenonokoriga
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