カヌーというバー

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 現役の日劇ミュージックホールのヌードダンサーが書いた自伝小説『私は宿命に唾をかけたい』。著者関根庸子はここに「血まみれの真実」を書いた。 
 彼女は「生きてゆくことがどんなに苦しいものか、私は女学生の頃から、それを身に沁みて味わいました。この小説に書かれていることは、私が目にし、耳にし、また経験したことです」と述べている。
 売れ行きは好調だったが関根庸子は作家にはならず、印税を元手に新宿でカヌーというバーを開き、やがてここは新宿の文壇バーのひとつとなった。
 光文社で彼女の著書を担当した種村季弘の証言を見てみよう。
 〈その子は、もう小説を書くつもりはない。新宿でバーをやるというんだ。「キーヨ」という有名なジャズのお店のそばだったな。初日に行ったら、後にヘンリー・ミラーのカミさんになったホキ徳田がピアノを弾いていた。深沢さんはお酒飲まないから来なかったけど仲間内のような客が多くてね。食い合いで潰れるよといったら、文壇の人を連れてきてくれと。それでつきあいのある作家を連れて行ったんだ。みんなわりとすぐ常連になった。彼女、美人だったからね。野坂は毎晩来ていたな(笑)。〉
 カヌーの店開きはおそらく著書出版からほどなくのころだっただろう。この『私は宿命に唾をかけたい』とおなじ一九五九年六月にマルキ・ド・サド『悪徳の栄え』が澁澤龍彦の訳で現代思潮社から刊行されている。同年十二月には続編も上梓された。ところがこれが翌年四月に差し押さえられ、出版社の石井恭二と訳者の澁澤龍彦が猥褻文書販売同所持の罪状で起訴される。いわゆる「サド裁判」で、第一回公判が東京地裁ではじまったのは一九六一年八月十日だった。
 「サド裁判」と「カヌー」について種村季弘の証言を見てみよう。
 〈文壇の連中が本格的に来るようになったのは「サド裁判」のときからだな。澁澤とか埴谷雄高とか。白井健三郎はどうだったかな。めったに外に出ない人たちが、裁判だから出て来ざるを得ない。文壇バーになりかけの頃だから、そう高くもなかったしね。そういう連中に引きずられて井伏さんが来てた。吉行さんもよく来てたな。それから十返肇・・・・・・〉
 『私は宿命に唾をかけたい』と『悪徳の栄え』が同年同月に刊行されたのは奇妙な御縁で、二冊の本は思いもよらない結果をもたらしたのだった。
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by yumenonokoriga | 2012-12-25 09:41 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)