高峰秀子の見た客席

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 さきごろ亡くなられた小沢昭一氏に「浅草ストリップと私」というエッセイがあり、浅草のストリップ劇場と日劇小劇場及びミュージックホールとの雰囲気のちがいを語っている。
 たとえば浅草座では踊り子が総出で徳利と盃を持って客についで廻っていた。美人座のフィナーレは、中央部が布で巻かれた長い紐の一方を踊り子が持ち、片方を希望する客が持ってヨーイドンで客が引っ張ると、一本を除いては中央部で切られているから踊り子とはつながらない空くじで、当たりの一本を引いた客はのちほど一時間ばかりコーヒーを飲みにデートができるという趣向だった。
 日劇の客席は永井荷風やヒロセ元美が不満を漏らしていて、むずかしそうな顔をした客が多かったから観客参加のステージはやりにくかっただろうし、仮にやっても盛り上がりを欠いただろう。荷風は自作の艶笑劇「春情鳩の街」では大都劇場の、「渡鳥いつかへる」ではロック座の舞台に通行人として出演して興を添えたが、これも浅草好みゆえである。秋庭太郎『永井荷風傳』にロック座では荷風の演ずる老紳士の一挙一動に客席と舞台裏と両方から拍手の雨だったという記述が見えている。この舞台裏からの拍手がいかにも浅草らしくてほほえましい。
 浅草には日参するほど通った荷風だが、有楽町の日劇ミュージックホールには足が向かなかった。この劇場の運営に当たっていた丸尾長顕によると、荷風は上品すぎて、といって、たった一度見えたきりだったという。芝居やレビューを見るにしても「丸の内にて不快に思はるゝものも浅草に来りて無智の群集と共にこれを見れば一味の哀愁をおぼへてよし」(『断腸亭日乗』昭和十二年十一月十六日)と記した荷風であり、この感情は戦後においても引き続いていた。
 日劇の客については意外にも高峰秀子が触れていて、一九五一年(昭和二十六年)の木下恵介作品で、日本映画史上おそらくストリッパーを主人公にした映画としては初の作品である「カルメン故郷に帰る」に出演するため日劇小劇場を訪れた彼女はそのときの感想を『巴里ひとりある記』に収める徳川夢声との対談で、観客の男たちがみんなまじめな顔して見ていて、いいとこあるなと思ったと語っている。パリのキャバレーでは男たちはストリッパーといっしょに騒いでいたのに日劇の男たちはまじめに舞台を見つめていた。荷風の眼に不満に映っていた日劇小劇場の男性客が高峰秀子には「いいとこあるなあ」と見えていたのだった。
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by yumenonokoriga | 2013-02-10 12:09 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)