2013年 02月 15日
「五木マヤ」
滝大作『とんぼを切りたかったコメディアン』は人情話の趣向のある芸人たちのバックステージもの短編集で、冒頭の一篇「チューリップは消えた」に五木マヤという日劇ミュージックホールのダンサーが登場する。
マヤがデビューしたてのころ「私」はこの劇場のコメディアン泉和助とその弟子の和太郎、彼女の四人でよく飲みに行ったものだった。そのマヤの姿を作者はこんなふうに描いている。
〈日本人の趣味にぴったりくる色白の中肉中背で、ヒップとバストはもぎたての水蜜のようにピンと張っている。おまけに顔はチューリップだ。これで人気が上がらないはずがない。半年も経つと、マヤはここの看板ヌードの一人になっていた。〉
五木マヤは仮名だが、泉和助は実在であり、あとでも述べるように和助こと「和っちゃん先生」は「私」を「滝さん」と呼んでいる。こうしてこの本は作者滝大作の私小説集と解してよい。一九三三年東京生まれ。早稲田大学文学部演劇科中退。五九年NHK入局。演芸番組のディレクターを担当。八四年退局。以降は各局のバラエティ番組の構成、脚本、舞台の作・演出を務める、といったところが作者の略歴で、また大部の四冊本からなる『古川ロッパ昭和日記』はこの人の編集による貴重な労作だ。
マヤの人気が上がるとともに「私」はまれにしか彼女に会えなくなった。人気をよろこばないわけではないけれど、宝物が人手に渡ってしまった気分は否定できなかった。そんなある日、「私」は和太郎からマヤが岐阜の造り酒屋の息子と結婚すると聞かされる。
マヤの最後の舞台の日に楽屋を訪ねた「私」に泉和助が、マヤが、滝さんが好きって相談に来たことがあるが、身分が違うといってあきらめさせたと打ち明ける。そこへ舞台衣装のままマヤが和助に挨拶にやってくる。
「この世界に二度と戻ってくるんじゃないぞ。さあ、復唱してみろ」と和助がいうと、マヤは涙声でやっと「この世界に二度と戻ってきません」といい終えて去って行った。
もちろん五木マヤにはモデルがある。