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その後の「五木マヤ」

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 滝大作『とんぼを切りたかったコメディアン』所収「チューリップは消えた」で日劇ミュージックホールのスターダンサー、五木マヤは泉和助から「この世界に二度と戻ってくるんじゃないぞ」といわれ、「この世界に二度と戻ってきません」と涙声で誓って造り酒屋の息子に嫁した。
 二年後、「私」はその後のマヤの消息を泉和助から聞く。
 話によると、マヤの結婚生活はきわめて短期間で終わっていた。やむなく彼女はトルコ風呂(ソープランドというべきなのだろうが当時の用語を用いる)で働いているという。戻って来るななんて余計な約束をさせなきゃよかったと和助は語り、マヤのいるトルコを含め詳しいことは和太郎が知っていると付けくわえた。 そのとき泉和助の一字をもらったただ一人の弟子和太郎は和助からクビを申し渡され、すでに舞台を去っていたが私生活での接触はつづいており、和助は和太郎のアパートの地図を描いた一枚の紙を「私」に渡してくれた。
 アパートを訪ねたところ和太郎は「きのうまでここにいたんですよ!ゆうべ帰ったらいなくなっちまっていたんですよ!」と泣き伏した。和太郎の話では、マヤはヌードをやっていたことをひたかくしにしていたが、すぐに先方の両親にバレてしまい、結婚生活は一週間しか続かず、身一つで放り出され、トルコを流れあるいていたところを、ある日、客として入った和太郎が偶然見つけという。
 拝み倒すようにしてアパートへつれてきた。それから彼は芸人をやめてカネになる仕事なら危険なことでも何でもやった。すべては彼女をトルコにもどらせたくないためだった。
 泣き伏す和太郎の部屋を「見ると小さな卓袱台の上に、マヤの写真が飾られていて、この索漠とした部屋にはおよそ不似合いな表情で笑っていた。その顔は、やはりチューリップの花のように愛くるしかった」。こうして「チューリップは消えた」は結ばれる。
 作者はあとがきに、芸人たちの狡さやいい加減さ、また訊ねても答えてくれない影の部分も想像して書ける利点ゆえに「小説」として書いたという。また、実名で書くと本人や周囲の人たちの気持ちをどうしてもおもんばかってしまい、本人の実像に迫れないとも述べている。五木マヤと和太郎が仮名とされた所以である。
(写真は五木マヤのモデル五月美沙、橋本与志夫『おお!ストリップ』より)

by yumenonokoriga | 2013-02-20 10:45 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)