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五月美沙、その失踪

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 五月美沙が日劇ミュージックホールに復帰したのは一九七一年(昭和四十六年)十月末からの「女は黙ってガンバラなくっちゃ」の舞台だった。そうして彼女は昭和四十八年十一月一日からの「白い肌に赤い花が散った」のあと誰にも行方を告げずに去ってしまった。九年後に刊行された『裸の女神たち』に石崎勝久は「彼女の消息は、いま関係者の誰も知らない」と書いた。
 かつて彼女をテアトルSSから引き抜いたのはこの劇場のプロデューサー橋本荘輔だった。橋本は彼女のカムバックにも尽力した。その五月美沙の失踪は彼に衝撃をもたらした。もともとの酒好きがさらに昂じて健康を損ねるまでを飲み続け、失踪の翌昭和四十九年肝炎により三十代の若さで不帰の客となった。
 滝大作「消えたチューリップ」で結婚が破綻しトルコではたらいていた五木マヤを連れ帰ったのは泉和助の弟子の和太郎とされていた。本コラムの筆者はこの和太郎のモデルを特定できない。どなたか御教示いただければありがたい。それとは別にひょっとしてこの和太郎にはこの橋本荘輔プロデューサーの姿が投影されているのかもしれないと想像する。五月美沙が失踪してからの橋本の人生がそんなふうに思わせる。
 想像ついでにもうひとつ。泉和助が亡くなったのは昭和四十五年、享年五十歳だった。滝大作の小説にある結婚を控えた五月美沙が泉和助に「この世界に二度と戻ってきません」と誓ったシーンがフィクションでないとすれば、その死が彼女のカムバックになんらかの影響を与えているのかもしれない。和助の死は結果的に五月美沙のカムバックの重石を取り除いたわけで、もし泉和助が存命だったなら彼女のミュージックホール復帰はなかったかもしれない。
わたしは五月美沙が復帰を飾った「女は黙ってガンバラなくっちゃ」と最後の舞台となった「白い肌に赤い花が散った」をともに見ていて、ほかにも何度かその姿に接した。スタイルのいい身体にちょこんと愛らしい顔がのっかっているようなその姿態はいまも思い浮かぶ。せめて出演した映画で再会できたらよいのになとひそかに期待しているけれどいまだに叶えられない。『陳平パンチ対談 実力人間登場』という本の彼女の紹介欄には「楽園をもとめて」(イタリア映画との由)「紅閨夢」などの映画に出演とある。

by yumenonokoriga | 2013-03-10 11:27 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)