「洋酒天国」の周辺

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 壽屋(現在のサントリー)が一九五六年(昭和三十一年)四月から一九六三年一月にかけて出していた「洋酒天国」はトリスバーの常連客へのサービス誌、いまでいう広報誌のはしりだった。編集部に開高健、坂根進、柳原良平、山口瞳、山川方夫、佐々木侃司、酒井睦雄など有能な人材がつどったことでも知られる。
 最近は見かけないので、以前ときどき古書店で見つけた際に買っておかなかったのが悔やまれる。なかにしゃれたグラビアページがあり、日劇ミュージックホールのヌードも起用されていたと記憶する。
 初代の編集兼発行人は開高健だった。開高はのちに「洋酒天国」の後身「サントリークォータリー」第十八号(一九八四年七月)誌上にある吉行淳之介との対談「浅草綺譚」で「洋酒天国」がミュージックホールに着目していたことを語っている。
はじめに吉行が、浅草は大衆の街とされているが川端康成、高見順のころにはハイカラな街でもあったといえば、開高が、ペラゴロ、左翼くずれ、インテリ挫折組、青春無頼派等々、日本の近代化に抵抗して挫折した連中が全部落ち込んでくるところだった、だけどその魅力は失われたと応じる。
 〈開高 でも、ヌード、全ストをやるようになってから、浅草のモダニズムとインテリ趣味は消えちゃったな。で、次に私が移ったのが日劇ミュージックホール。これはなかなかよかったですよ。
吉行 これについては、僕はやたらに詳しい。
開高 あそこではずいぶんとヒントを得たな、雑誌編集の。当時、私は「洋酒天国」をやってましたからね。〉
 開高健がミュージックホールから得た「ヒント」の具体は不明ながら、「洋酒天国」編集を経て長年にわたり「サントリークォータリー」の編集長を務めた小玉武の『『洋酒天国』とその時代』に「『洋酒天国』には、軽妙洒脱な読物というだけではなく、ちょっと薄くて小さいけれど屈折したユーモアがあって時代への批評があるね、という読者の評価は編集部を喜ばせた」という箇所があり、ヒントのヒントを提供してくれている。
 ミュージックホールは開高健に対し、陰に陽に、有形無形に、軽妙洒脱、屈折したユーモア、ダンディズムを生むヒントをもたらしていたと思いたい。
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by yumenonokoriga | 2013-03-20 08:45 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)