人気ブログランキング |

ある日のトニー谷

a0248606_1205663.jpg
 司会のトニー谷が拍子木でリズムをとりながら「あなたのお名前なんてえの」と出場者に質問すると調子に乗せられた出場者が「私は・・・・・・と申します」と答える。この「アベック歌合戦」が日本テレビ系列ネットではじまったのは一九六二年(昭和三十七年)だった。当時小学生だった筆者がトニー谷を知ったのはこの番組以外に考えられないが、なぜかはじめから異端とか邪道、うさんくささといったフィルターでブラウン管を見ていた記憶がある。のちに仕入れた知識を遡及させているのか、あるいは親から何か言われていたのか記憶はさだかではない。
 トニー谷は敗戦後の日本が生んだあだ花だった。「さいざんす」「家庭の事情」「おこんばんは」「ネチョリンコンでハベレケレ」「バッカじゃなかろか」などとともに流行語となった「レイディースエンジェントルメン、アンドおとっつぁんおっかさん」というあやしげな英語と日本語をこきまぜた「トニングリッシュ」は占領期日本の米国への迎合あるいは屈折した感情を示している。人気はあったが愛されたわけではない。小林信彦『日本の喜劇人』には「あの人は面白いが、天皇陛下のまえに出られない芸人だなあ」と評したあるコメディアンの言葉がある。
 そうした邪道芸人のある日のミュージックホールの舞台における姿を清水俊二が『映画字幕五十年』に書きとめている。
〈トニー谷が人気をさらっていたころ、客席の三分の一をアメリカ占領軍の兵隊たちが占めていた。トニーがあの妙な英語をしゃべるのだが、わかってもらおうとは思っていないのだ。兵隊たちもポカンとしている。突然、トニーがからだをかがめ、兵隊たちのほうに顔を突き出して、
「大きなつらをしやがって、こっちはイモを食って戦ったんだ」
といった。兵隊たちからはもちろんなんの反響もない。私はどういうわけか、このせりふが忘れられない。台本にはないせりふだろう。トニーは自分のほんとうの気持をしゃべったのにちがいない。すくなくとも、私にはそう聞こえた。〉
 小学生だったわたしはトニー谷を異端、邪道と見ていたが、その心の内など思いも及ばなかった。異端や邪道で以て隠した思い。清水俊二はそこのところを「大きなつらをしやがって、こっちはイモを食って戦ったんだ」と芸人が図らずも洩らした言葉に見ていたのだった。

by yumenonokoriga | 2013-04-15 11:59 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(2)

Commented by 安倍寧 at 2013-05-06 09:38 x
是非拝読いたしたく。
Commented by yumenonokoriga at 2013-05-06 16:28
☆安倍寧様
お便りありがとうございます。
清水俊二さん、映画ファンにはありがたく、また懐かしい名前です。