色川武大の日劇ミュージックホール三十年

a0248606_10131072.jpg 一九七七年(昭和五十二年)の第五回泉鏡花文学賞は「怪しい来客簿」が、翌年の第七十九回直木賞は「離婚」が受賞した。作者名はそれまでの阿佐田哲也ではなく色川武大の名義によるものだった。以後、ふたつの筆名が使い分けられたが、だんだんと色川武大のほうの比重が高くなった印象がある。
 一九八0年(昭和五十五年)といえばまだ両方の名前が使われていて、この年の初春公演「ハロー’80ビーナスの初夢」のパンフレットに寄せた「ミュージック・ホール/客席での三十年」は阿佐田哲也で書かれている。
 浅草との縁が深いイメージのある作家だが丸の内の劇場ともかかわりが深く、さすが標題どおりに年季が入っている。
 「開場の頃の、メリー松原や伊吹まり代、ジプシーローズそれから春川ますみの時代、園はるみ、吾妻京子、桜洋子、パール浜田、アクロバットダンスのRテンプル、女子大出の小川久美や丘ルリ子の頃、アンジェラ浅丘や小浜奈々子の頃、そして現在の松永てるほや岬マコ」という具合に三十年のあいだミュージックホールの舞台に接してきたわけだが、なにしろ伊吹まり代が軽演劇に出ている頃から知っていて、かげながらずいぶん応援したというし、パール浜田の締まった肢体が夢に何度も出てきたというから格が違う。伊吹まり代とおなじく初期のストリップ界のスターだったミス池上も軽演劇出身だったことや、従弟と春川ますみがひところ結婚していたことにも触れている。
 親しかった、あるいは思い出のコメディアン、タレントとしては内藤陳、パン猪狩、ショパン猪狩の兄弟、泉和助、鯉口潤一といった人びとが列挙されている。
 わたしがミュージックホールに通っていた当時いちばんよく出ていたコメディアンは関ときを(写真)という役者だったが、この人については「現在よく出演している関ときをは、往年の浅草のスタア関時男の息子さんだそうだ。親父さんめざして、がんばれ、と彼にも声援しておく」と、父親の代からの話となっている。さすが『なつかしい芸人たち』や『寄席放浪記』を著した人というべきだろう。もっと長生きしてミュージックホールのことを書いていただきたかったのが惜しまれる。
(先日京橋のフィルムセンターで観た清水宏監督のサイレント作品「銀河」に関時男が出演していた。)
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by yumenonokoriga | 2013-07-25 09:13 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)